『無限の網 草間彌生自伝』:水玉の女王が自ら語る、闘いと創造の人生
幻覚に苦しんだ松本での少女時代、単身乗り込んだニューヨークでの闘い、そして世界的アーティストへ。草間彌生が自らの言葉で綴った、鮮烈な自伝です。
はじめに:水玉の原点を、本人の言葉で
『無限の網 草間彌生自伝』(草間彌生 著)は、世界でもっとも知られた日本人アーティストの一人が、自らの人生を語った自伝です。幼少期から見え続けた幻覚、それを絵にすることで生き延びた少女時代、単身渡米してニューヨークの前衛アートシーンに乗り込んだ日々。水玉と網目の原点が、本人の肉声で語られます。
書誌
2002年に作品社から刊行され、2012年3月に新潮文庫へ収められました。文庫版は296ページで、自伝としては手に取りやすい厚さです。
著者について
草間彌生さんは1929年、長野県松本市の生まれです。1957年に渡米し、翌年ニューヨークへ移り住んで、網目を画面いっぱいに繰り返すネット・ペインティングで注目を集めました。1973年に帰国したのちも制作を続け、1983年には小説で新人賞を受けています。1993年にはヴェネツィア・ビエンナーレの日本館代表を務め、2009年に文化功労者、2016年には文化勲章を受章しました。長く「異端」として扱われた作家が、日本の顕彰の枠組みに迎え入れられていく途中で書かれた自伝、という位置づけになります。
内容の骨格
物語は、松本の裕福だが息苦しい生家を飛び出すところから動き出し、渡米、ニューヨークでの無名時代、ハプニングやソフト・スカルプチャーによる活動、帰国後の日々へと、おおむね時間の順に進みます。心の病との闘いと、社会の既成概念への挑戦。この二本の線が全体を貫いています。
この本の3つの見どころ(読みどころ)
1. 芸術は「生きるための薬」だった
強迫観念を作品化することで自分を治療してきた、という告白は、アートの根源的な力を突きつけてきます。無数の網目を延々と描き続ける行為が、押し寄せる恐怖を制圧するための儀式だったと知ると、あの反復の意味がまるで違って見えてきます。
2. ニューヨークでの壮絶な闘い
無名のアジア人女性が、男性中心のアート界で次々に仕掛けていく60年代の記録は、痛快そのものです。ダリやウォーホルら同時代作家との交差も貴重な証言といえます。1966年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、正式な代表としてではなく自ら会場をかけあい、1,500個の鏡の球を芝生に敷き詰めた「ナルシスの庭」を出現させて、それを1個1,200リラ(当時のレートで約2ドル)で売ってみせるという型破りな一手に出ました(販売は当局に止められています)。先んじて発表した手法が正当に評価されず、アイデアだけが他の作家に流れていく悔しさまで、包み隠さず書かれています。
3. 言葉の強度
草間彌生は詩人・小説家でもあります。ほとばしるような独特の文体は、彼女のインスタレーションと同じ熱量を持っています。整えられた読みやすい文章ではなく、読む者を巻き込んでいく「声」としての文章です。
どんな読者に向くか
現代美術の予備知識はいりません。むしろ、作品を先に知っている人ほど衝撃が大きい本です。ただし文章は整然とした自叙伝の型を取らず、時間が前後したり、感情がそのまま噴き出したりします。年譜のように事実を引きたい方には向きません。通読して、その声の勢いに巻き込まれるための本だと思ってください。心の病や自死をめぐる記述も率直なので、そこは心づもりが要ります。
類書と何が違うのか
草間彌生を扱う本の多くは、作品図版を主役にした画集か、第三者による評伝です。本書はそのどちらでもなく、本人が自分の言葉で書いています。評伝なら整理されるはずの矛盾や恨みが、整理されないまま残っている。読みやすさでは劣りますが、生々しさでは代わりがききません。
関連して見に行けるもの
東京・新宿の草間彌生美術館は2017年に開館した個人美術館で、日時指定の予約制です。故郷の松本市美術館は草間作品をまとめて見られる館として知られ、屋外に置かれた大型作品も含めて楽しめます。瀬戸内の直島に立つ《南瓜》のように、風景のなかの一点を訪ねる旅も選べます。自伝を読んだ後の水玉は、もはや「かわいい」だけでは見えません。
まとめ
『無限の網』は、現代アートが「命がけの表現」であることを教えてくれる自伝です。草間彌生のイメージが変わる、強烈な読書体験になるはずです。
Kindle版:無限の網―草間彌生自伝(新潮文庫)
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