酒井抱一:大名家の子息が花開かせた、江戸琳派の粋

酒井抱一:大名家の子息が花開かせた、江戸琳派の粋

画家

姫路藩主一族に生まれながら出家し、尾形光琳に私淑して江戸に琳派を根付かせた酒井抱一。光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に描いた「夏秋草図屏風」で知られる、瀟洒な美意識の生涯。

はじめに:武家の出自が育んだ、洗練の美意識

酒井抱一(1761-1828)は、江戸時代後期に活躍した画家で、尾形光琳が大成した「琳派」の様式を江戸の地に定着させた「江戸琳派」の祖として知られています。金銀を用いた装飾的な意匠を継承しながらも、江戸の粋や俳諧の洒脱さを取り入れた瀟洒な作風を確立し、上方の琳派とは異なる江戸ならではの美意識を築き上げました。

生涯:姫路藩主の弟から、出家した画家へ

抱一は宝暦11年(1761年)、江戸・神田小川町にあった播磨姫路藩酒井家の江戸屋敷に、藩主家の子として生まれました。兄が藩主を継いだため家督の重責を負わず、若い時分から俳諧、能、書、そして絵画に打ち込む恵まれた環境で育ちます。画は狩野派に始まり、浮世絵、円山四条派、南蘋派まで幅広く手を出し、浮世絵風の美人画には「尻焼猿人」という戯号まで用いました。

大きな転機は寛政9年(1797年)、37歳での出家です。西本願寺で得度して僧籍に入り、以後は世俗の身分を離れて絵に専念できる立場を得ました。やがて江戸・下谷根岸に草庵「雨華庵(うげあん)」を構え、ここが江戸琳派の拠点となります。

抱一が生涯の指針としたのは、100年ほど前に京で活躍した尾形光琳でした。直接の弟子ではなく、遺された作品を通じて学ぶ「私淑」です。文化12年(1815年)には光琳の百回忌にあたり、法要と遺作展を営み、光琳作品を版本にまとめた『光琳百図』を刊行しました。文政11年(1828年)、68歳で没しています。

画風の特徴:光琳の意匠を、俳諧の呼吸で

抱一の絵は、光琳ゆずりの金地・銀地と平面的な意匠を受け継ぎながら、線がずっと細く、色が淡く、余白が広いのが特徴です。豪奢さより「軽み」を選んだところに、俳諧をたしなむ江戸文人の感覚が出ています。草花は写生に基づいて種を見分けられるほど正確に描かれ、そこに琳派特有の様式化が重ねられます。銀箔が経年で黒く沈むことまで計算に入れたともいわれる色調は、抱一ならではの世界です。

代表作

  • 夏秋草図屏風(重要文化財/東京国立博物館):尾形光琳「風神雷神図屏風」の裏面に描かれた二曲一双。風神の裏には風にあおられる秋草、雷神の裏には雨に打たれる夏草を配し、表の神々に「地上で起きていること」で応じた着想が見事です。保存のため昭和49年(1974年)に表裏が分離され、現在は別々の屏風になっています。
  • 燕子花図屏風(出光美術館):光琳の同名作を意識しつつ、より繊細な群れの配置で描いた代表作。
  • 紅白梅図屏風(出光美術館):光琳への私淑がもっとも直接に表れた一作です。
  • 十二ヶ月花鳥図(皇居三の丸尚蔵館ほか):季節ごとの花と鳥を12幅に描き分けた連作で、抱一が繰り返し取り組んだ主題です。
  • 光琳百図:光琳作品を集成した版本。光琳の画業を後世に伝えた資料であると同時に、抱一自身の様式形成の記録でもあります。

同時代の画家との関係

抱一の周囲には、谷文晁や亀田鵬斎といった当代一流の文人が集まりました。門下からは鈴木其一が出て、抱一の瀟洒さをより硬質で鮮烈な様式へ展開させます。ほかに酒井鶯蒲、池田孤邨らが続き、江戸琳派は幕末まで系譜を保ちました。京の光琳、江戸の抱一、そして其一——という流れを押さえておくと、琳派全体の見取り図がつかめます。

日本で見られるか

抱一は江戸で活動した画家ですから、主要作はほぼ国内にあります。東京国立博物館の「夏秋草図屏風」、出光美術館の琳派コレクション(「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」)が二大拠点です。ほかに静嘉堂文庫美術館山種美術館松岡美術館皇居三の丸尚蔵館千葉市美術館などが作品を所蔵しています。ただし屏風や巻子は劣化を防ぐため通年公開されず、季節に合わせた入れ替え展示になることが多いので、訪ねる前に出品リストを確認するのが確実です。

見どころ

  • 銀地の色を見る:抱一は銀地を好みました。時とともに酸化して灰から黒へ沈んだその地色が、草花の白や緑をどれほど引き立てているかを確かめてください。
  • 草の種類を数える:葛、薄、女郎花、朝顔——一つひとつが植物として同定できます。装飾画に見えて、観察が土台にあることがわかります。
  • 余白の広さ:光琳より画面が空いています。その空白が、江戸の「粋」の正体です。

代表作ギャラリー

夏秋草図屏風(草稿)
夏秋草図屏風(草稿)1821年頃東京国立博物館
月に秋草図
月に秋草図19世紀初頭

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)