司馬江漢:日本初の銅版画を刻んだ蘭学派の絵師、江戸に西洋の遠近法を持ち込んだ異才

司馬江漢:日本初の銅版画を刻んだ蘭学派の絵師、江戸に西洋の遠近法を持ち込んだ異才

画家

浮世絵師として出発し、日本初の腐食銅版画を成功させ、油彩で富士を描き、地動説まで紹介した司馬江漢。「日本のダ・ヴィンチ」とも呼びたくなる、江戸の科学する絵師です。

はじめに:絵師にして科学の伝道師

司馬江漢(1747-1818)は、江戸中期の洋風画家です。浮世絵師として出発しながら、蘭学に出会って人生が一変。1783年、オランダの技法書を頼りに日本初の腐食銅版画(エッチング)を成功させ、さらに油彩画、遠近法による風景画、そして地動説や西洋科学の啓蒙書まで手がけました。

生涯:号を変えるたび、人生が変わった男

江漢は江戸に生まれました。本名は安藤峻。最初は狩野派を学び、次いで鈴木春信風の錦絵を「鈴木春重」の号で手がけます。春信の没後、その画風をまねた作を春信名義で世に出していたことを、後年みずから告白しています。

次に中国・南蘋派の写生画を宋紫石に学び、さらに平賀源内ら蘭学者たちと交わる中で、西洋の科学と絵画に決定的な関心を抱きました。1783年(天明3年)、オランダの書物を手がかりに腐食銅版画の技法を独力で復元し、《三囲景》を刷り上げます。日本人の手による最初の銅版画でした。

1788年からは長崎へ旅し、その道中と滞在を『江漢西遊日記』に記しています。大坂では文化人の木村蒹葭堂に自作の銅版画を見せ、驚嘆させました。以後は油彩による風景画に取り組む一方、地動説を紹介した『和蘭天説』や『刻白爾天文図解』などの著述で、西洋の宇宙観を日本語で広めています。

晩年は奇矯なふるまいでも知られ、自分の死亡通知を知人にばらまいて騒ぎを楽しんだという逸話も残ります。1818年、72歳で没しました。

画風の特徴:「科学の眼」で見た風景

江漢の絵を特徴づけるのは、一点透視遠近法と陰影法です。浮世絵の平面的な空間に慣れた当時の人々にとって、奥へ吸い込まれるような画面は衝撃でした。とくに銅版画は覗き眼鏡(のぞきからくり)で見る「眼鏡絵」として作られ、立体視の驚きを売りにしています。

一方、油彩の技法は完全な独学でした。輸入書の記述と輸入絵画の観察だけを頼りにしたため、絵具の層は薄く、乾き方も西洋の油彩とは異なります。しかしその手探りの跡こそが、和紙と墨の国で油とキャンバスに挑んだパイオニアの記録です。江漢は「絵は真を写すべきもの」と繰り返し説き、絵画を美の技ではなく世界を正しく知るための道具と考えました。

代表作

  • 三囲景(1783年/神戸市立博物館ほか):隅田川沿いの三囲神社あたりを西洋式の遠近法で描いた銅版画。日本人が制作した最初期の銅版画として美術史に刻まれています。
  • 相州鎌倉七里浜図(1796年/神戸市立博物館):重要文化財。絹本に油彩で描かれた七里ヶ浜の眺望で、日本における洋風画の到達点の一つです。
  • 不忍池図:上野・不忍池を遠近法で捉えた作品。江戸の名所を「西洋の目」で描き直す江漢の試みを代表します。
  • 駿州薩陀山富士遠望図:油彩で富士を描いた作品。日本の風景を西洋の絵具と技法で表そうとした挑戦作です。
  • 地球図(1792年):東西両半球を描いた銅版の世界地図。画家であり科学啓蒙家でもあった江漢の二つの顔が重なる仕事です。

同時代の画家との関係

江漢は鈴木春信に私淑して出発し、蘭学の側では平賀源内、前野良沢らと交わりました。洋風画の分野では、秋田蘭画の小田野直武や、腐食銅版画で並び称される亜欧堂田善が同時代の同志であり、ライバルでもあります。とくに江漢と亜欧堂田善は、日本の銅版画史の最初の二本柱です。江漢の油彩の試みから約80年後、高橋由一が本格的な油彩に到達しました。日本洋画の前史として二人を並べると、その流れがよく見えます。

日本で見られるか

江漢は日本の画家ですので、国内で見ることができます。神戸市立博物館が南蛮・紅毛美術のコレクションの中核として《相州鎌倉七里浜図》をはじめ多数を所蔵し、東京国立博物館静岡県立美術館本間美術館(山形県酒田市)などにも作品があります。銅版画も肉筆も光に弱いため、常設展示ではなく企画展での公開が中心です。

見どころ:実物の前で何を見るか

  • 「視点」を探す:風景画では、遠近法の消失点がどこにあるかを探してみてください。西洋の見方を懸命に学ぶ江戸人の熱意が伝わります。
  • 線の太さ:銅版画では、腐食の深さで線の濃淡が決まります。独学でここまで刻めたのかと驚かされます。
  • 絵具の層:油彩作品では、絵具が驚くほど薄いことに注目を。試行錯誤の跡がそのまま残っています。

まとめ

司馬江漢は、美術と科学がまだ一つだった時代の、日本版ルネサンス人です。「見る」ことの革命がここから始まったと思うと、一枚の銅版画が輝いて見えます。

代表作ギャラリー

相州鎌倉七里浜図
相州鎌倉七里浜図1796年神戸市立博物館
Grapevine
Grapevine1769年デトロイト美術館
A Meeting of Japan, China, and the West
A Meeting of Japan, China, and the Westミネアポリス美術館
Rooster with Rose
Rooster with Roseミネアポリス美術館

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)