ジャン・シメオン・シャルダン:台所の静物に宿る威厳、ロココの時代の静かな巨匠

ジャン・シメオン・シャルダン:台所の静物に宿る威厳、ロココの時代の静かな巨匠

画家

華やかなロココの時代に、銅鍋や果物、市民の日常を静かに描き続けたシャルダン。「絵具ではなく感情で描く」と評された静物画は、後のセザンヌやモランディの源流となりました。

はじめに:宮廷の時代に「台所」を描いた人

ジャン・シメオン・シャルダン(1699-1779)は、18世紀フランスの画家です。同時代のブーシェやフラゴナールが宮廷の華やかな恋愛画で人気を集める中、シャルダンが描いたのは銅鍋、陶器の壺、狩の獲物、そして市民の家庭の慎ましい日常でした。地味な主題にもかかわらず、その絵は国王ルイ15世からも同時代の批評家ディドロからも深く愛されました。

生涯:パリを一歩も出なかった画家

パリの指物師の家に生まれました。父は王室御用の玉突き台を手がける腕のいい職人で、木と道具に囲まれた家庭で育ったことが、後年の「物」への視線を養ったと考えられています。ピエール=ジャック・カーズらのもとで修業しましたが、イタリア留学の経験はなく、生涯ほとんどパリを離れませんでした。

1728年、《赤エイ》などの静物画によって「動物と果実の画家」として王立絵画彫刻アカデミーに迎えられます。当時のアカデミーの序列では、静物画は歴史画のはるか下に置かれた分野でした。1730年代からは風俗画にも進出し、1740年には国王ルイ15世に謁見して作品を献上。1752年に王から年金を受け、1757年にはルーヴル宮内にアトリエを与えられました。1755年からおよそ20年にわたりアカデミーの会計係とサロンの陳列責任者を務めています。晩年は油彩の画材が体に合わなくなり、パステルによる自画像や妻の肖像へ向かいました。1779年、ルーヴルのアトリエで没しています。

画風の特徴:ざらつく絵具が、静けさを生む

シャルダンの絵は、近づくと驚くほど粗いのです。輪郭は滑らかにぼかされ、絵具は小さな塊となって画面に置かれています。ところが数歩下がると、その塊が銅の照りや陶器の艶や桃の産毛に変わる。シャルダン自身が「絵具を使うが、感情で描く」と語ったとディドロが書き留めているのは、この魔法のことでした。構図はきわめて単純で、水平な台の上に少数の物を置き、灰褐色の背景で囲むだけ。しかし物と物の間隔が緻密に計算されており、余白が緊張しています。色数も抑制的で、褐色、白、鈍い赤、くすんだ青の周辺にとどまります。華やかさを一切足さずに豊かさを生む——これがシャルダンの技です。

代表作

  • 「赤エイ」(1725-26年頃/ルーヴル美術館、パリ)——内臓を見せて吊るされたエイと、身構える猫を描いた出世作。生々しい主題が、厚塗りの絵具の輝きによって不思議な気品を放ちます。若きシャルダンをアカデミーに認めさせた一枚です。
  • 「食前の祈り」(1740年/ルーヴル美術館、パリ)——母親が子どもたちに食前の祈りを促す、ただそれだけの場面。柔らかな光に包まれた室内には、宗教画に劣らぬ厳かさが宿ります。国王に献上された作品です。
  • 「買い物帰りの女中」(1739年/ルーヴル美術館、パリ)——パンを抱えて立ち止まる女中の一瞬。動作の途中を切り取る感覚が近代的です。
  • 「緑の日よけをつけた自画像」(1775年/ルーヴル美術館、パリ)——晩年のパステル自画像。老いた画家がこちらを見返す視線が忘れがたい一点です。

同時代の画家との関係

ロココの寵児フランソワ・ブーシェとは対照的な存在で、両者は互いの芸術に批判的だったと伝えられます。彼が学んだのは同時代のフランス宮廷絵画ではなく、17世紀オランダ・フランドルの市民生活画と静物画でした。批評家ディドロはサロン評でシャルダンを繰り返し激賞し、その評価を後世に橋渡ししています。19世紀に入るとマネが絵具の扱いに注目し、セザンヌは静物の構築性を、20世紀のモランディは物と余白の関係を受け継ぎました。

日本で見られるか

東京富士美術館(八王子)が《デッサンの勉強》を所蔵しています。1753年のサロン出品作で、素描を学ぶ若者を描いた作品です。国内で見られるシャルダンの油彩は多くありませんが、過去には大規模なシャルダン展が開かれ、ルーヴルほかの名品がまとまって来日した実績があります。訪問前に東京富士美術館の展示情報を確認するとよいでしょう。

見どころ:実物の前で何を見るか

まず30秒、黙って鍋を見つめてください。金属の重さと冷たさ、部屋の静けさまで感じられてきます。「地味」が「豊か」に変わる瞬間です。次に近づいて、また離れること。至近距離での絵具の粗さと、数歩下がったときの質感の完璧さ——この落差こそシャルダンの正体です。さらに物と物の隙間を見てください。何も置かれていない台の面積が、画面の呼吸を決めています。同じ部屋にブーシェやフラゴナールが並んでいたら、ぜひ見比べを。同時代とは思えない対照に驚くはずです。

まとめ

シャルダンは、日常の中の永遠を描いた画家です。SNS映えとは正反対の「静けさの力」を、ぜひ実物の前で体験してください。

代表作ギャラリー

赤エイ
赤エイ1728年頃ルーヴル美術館
食前の祈り
食前の祈り1740年ルーヴル美術館
シャボン玉
シャボン玉1734年頃ワシントン・ナショナル・ギャラリー
赤エイ (シャルダンの絵画)
赤エイ (シャルダンの絵画)1727年展示室919
独楽を回す少年
独楽を回す少年1738年展示室920
Le Buffet
Le Buffet1728年展示室919
音楽の象徴、芸術の象徴、科学の象徴
音楽の象徴、芸術の象徴、科学の象徴1765年展示室919
洗濯する女
洗濯する女1730年エルミタージュ美術館

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)