紅白梅図屏風:尾形光琳が晩年にたどり着いた、水流と紅白の梅の対決

紅白梅図屏風:尾形光琳が晩年にたどり着いた、水流と紅白の梅の対決

名画
作者
尾形光琳
制作年
江戸時代・18世紀
所蔵
MOA美術館
所在地
静岡県熱海市
指定
国宝

図案化された水流を挟み、老いた白梅と若い紅梅が向き合う尾形光琳晩年の国宝。静岡県熱海市のMOA美術館が所蔵し、梅の見頃に合わせて毎年二月ごろに公開されます。

中央を流れる大きな水流を挟んで、左に白梅、右に紅梅が向き合う。尾形光琳の《紅白梅図屏風》は、晩年の光琳がたどり着いた造形の到達点です。静岡県熱海市のMOA美術館が所蔵し、梅の見頃に合わせて毎年二月ごろに公開されます。

紅白梅図屏風とは

江戸時代・18世紀に描かれた紙本金地著色の二曲一双で、寸法は各縦156.0センチ、横172.2センチ。国宝に指定されています。

画面の中央を占めるのは、上から下へ流れ落ちる水流です。渦を巻く水は図案化され、自然の水というより文様に近い姿をしています。その両脇に、若い紅梅と老いた白梅が配されます。右の紅梅は幹が細く、枝を上へ伸ばす。左の白梅は太い老木で、枝を横へ張り出し、画面の外へ出ていきます。対照的な二本の梅と、その間を断ち切る水。単純な要素だけで、これ以上ないほど緊張した画面が組み立てられています。

二曲一双という形式にも意味があります。六曲の屏風に比べて画面の横幅が狭く、要素を並べる余裕がありません。そのぶん、置かれた三つの要素だけで勝負することになります。水流は下へ行くほど幅を広げ、両岸の梅を押しのけるように画面を分断します。梅の枝は水を越えて伸びようとし、そこで止められている。動きと拮抗が同時に成立しているのです。

どこで見られる?

  • 所蔵先:MOA美術館
  • 公開状況:常設展示ではありません。梅の花が咲く毎年二月ごろ、隣接する梅園の見頃に合わせて公開されるのが恒例です。2024年には、光琳が宗達に倣って描いた重要文化財《風神雷神図屏風》(東京国立博物館蔵)と39年ぶりに並べて展示される機会もありました
  • 所在地:静岡県熱海市

公開時期は所蔵館の公式サイトで確認してください。

見どころ3選

  • 水流の文様化:渦の一つひとつが規則的な曲線で描かれ、水が装飾模様へと変換されています。自然を写すのではなく記号にまで抽象化する、光琳の姿勢がもっともよく出た部分です
  • 老木と若木の対:白梅の幹はごつごつと屈曲し、紅梅の枝はまっすぐ伸びます。老いと若さ、横と縦という対比が左右に振り分けられ、二隻を並べたときに一つの物語のように読めます
  • 幹のたらしこみ:梅の幹には、水分を含んだ墨がにじみ合う「たらしこみ」が用いられ、樹皮の質感と時間の厚みを生んでいます。図案的な水流との対比で、幹だけが生々しく見えるのも見どころです

描かれた背景

本作は光琳の最晩年、江戸から京都へ戻ってからの作と考えられています。光琳は40代半ばで江戸に下り、大名家などの需要に応えて過ごしたのち、京都へ帰りました。呉服商の家で培った意匠感覚と、俵屋宗達から受け継いだ装飾的な表現が、この屏風で最も濃密に結晶しています。

光琳は元禄期の京都で華やかに暮らし、家産を傾けたとも伝えられます。生活のために絵を売る立場になったことが、かえって彼の画業を本格化させました。宗達の作品を写して学び、意匠の感覚を絵画へ持ち込み、晩年にこの屏風へたどり着く。琳派と呼ばれる系譜は、直接の師弟関係ではなく、こうした私淑と模写の連鎖によって受け継がれてきました。

作品は津軽家の江戸藩邸に伝来しました。その後1950年代に岡田茂吉の手に渡り、現在はMOA美術館の収蔵品となっています。金地や水流にどのような材料と技法が使われているかをめぐっては、蛍光X線分析などの科学調査が繰り返しおこなわれてきました。背景が金箔なのか金泥なのか、黒い水流に何が使われているのか。研究機関によって見解が分かれた時期もあり、名画をめぐる議論がいまも続いていることを教えてくれます。

MOA美術館は熱海の高台にあり、相模湾を見下ろす立地です。長いエスカレーターで山を上がった先に展示室があり、館内には光琳の屋敷を復元した建物も設けられています。梅の季節に本作を訪ねると、庭の梅と屏風の梅を同じ日に見比べることになります。作品が描かれた季節に、その季節の花とともに見る。公開時期の設定そのものが、鑑賞体験の一部として設計されているわけです。

まとめ

《紅白梅図屏風》は、光琳が生涯かけて磨いた「削ぎ落とす力」の結晶です。梅の季節にだけ姿を現すという公開のあり方も、この作品の魅力の一部になっています。熱海の梅園とあわせて、二月の旅程を組んでみてください。