『眩(くらら)』:北斎の娘・葛飾応為、江戸の闇に光を描いた女絵師の一代記
天才・葛飾北斎の娘にして、自らも「吉原格子先之図」などの傑作を残した女絵師・応為(お栄)。父の影で絵に生きたその生涯を描く、直木賞作家による傑作歴史小説です。
はじめに:北斎のかたわらにいた、もう一人の天才
『眩(くらら)』(朝井まかて 著)は、葛飾北斎の娘にして自らも絵師だった葛飾応為(お栄)の生涯を描く歴史小説です。美人画にかけては応為にかなわない、と北斎自身が語ったと伝えられる娘。しかし歴史の表舞台にはほとんど名を残しませんでした。本作はその埋もれた天才の一代記です。
書誌
『小説新潮』の2014年12月号から2015年11月号にかけて連載され、2016年3月に新潮社から単行本が刊行されました。同年、第22回中山義秀文学賞を受賞。2018年10月に新潮文庫へ収められ、いまは文庫で手軽に読めます。長編一本の書き下ろしではなく雑誌連載だったこともあり、章ごとの区切りがはっきりしていて読み進めやすい構成です。
著者について
朝井まかては1959年大阪生まれ。会社勤めを経て小説家となり、2014年に『恋歌』で直木賞を受賞しました。江戸を舞台にした時代小説を数多く手がけていますが、その多くは実在の人物を主人公に据えています。史料に残る事実の隙間へ、その人がそう生きたであろう内面を静かに差し込んでいく。本作の応為像も、その手つきから生まれています。
この本の3つの見どころ(読みどころ)
1.「画狂」父娘の凄まじい創作の日々
散らかり放題の長屋で、絵のことだけを考えて生きる北斎とお栄。掃除も炊事もそっちのけで筆を握り、部屋が汚れれば引っ越すという暮らしぶりが、可笑しくもすさまじい熱量で描かれます。互いの才能を認め合いながらぶつかり合う父娘の関係は、本作の心臓部です。九十歳近くまで、あと十年あれば本物の絵師になれると言い続けた北斎の執念も、娘の目を通してこそ生々しく立ち上がります。
2.光と闇の傑作「吉原格子先之図」
応為の代表作は、吉原の妓楼の張見世を、提灯の光と深い闇のコントラストで描いた一枚。西洋画を思わせる明暗の扱いから「江戸のレンブラント」とも評されます。現存が確認されている応為の作品はごくわずかで、この一枚の希少さは格別です。その絵が生まれる過程が物語のクライマックスとして描かれ、深い感動を呼びます。
3.江戸の女が「描いて生きる」ということ
一度は嫁ぎながら、絵を選んで実家に戻ったお栄。名を残すことも報われることも約束されないまま筆を執り続けた女性の生き方は、現代の読者にこそ響きます。時代小説でありながら、きわめて現代的な物語です。
どんな読者に向くか
浮世絵の知識は要りません。摺師や版元、絵手本といった当時の仕事の仕組みも、物語の流れのなかで自然に説明されます。むしろ本作は、浮世絵を「完成した名画」としてではなく「日々の仕事」として知りたい人に向いています。時代小説を読み慣れていなくても、江戸の口語に近い会話文はテンポがよく、すぐに乗れるはずです。辞書のように引く本ではなく、通して読む本。北斎という名前しか知らない状態で読み始めても、読み終える頃には親子の顔が浮かぶようになっています。
類書との違い
北斎を扱った小説や評伝は数多くありますが、その多くは巨匠の側から江戸を眺めます。本作は視点を娘に置き、父を仰ぐのではなく横から見る位置に読者を立たせます。応為は史料が乏しく、確実な作品も少ない人物です。だからこそ埋める余地が大きく、想像の力で人物を立ち上げる小説の仕事がまっすぐ効いてくる題材だといえます。
この本を読んだ後の、おすすめのアクション
応為の実物を探す:「吉原格子先之図」は東京・原宿の太田記念美術館の所蔵で、保存のため公開の機会は限られます。愛知・小牧のメナード美術館が所蔵する「夜桜美人図」も、闇と灯りを描いた応為らしい一枚です。父の画業は東京・両国のすみだ北斎美術館でたどれますので、父娘の筆を見比べてみてください。
映像で追体験する:2017年9月にNHKの特集ドラマ『眩〜北斎の娘〜』として、宮崎あおい主演で映像化されています。江戸の闇と光を映像で浴びてから読むと、小説の描写の解像度がさらに上がります。
まとめ
『眩』は、浮世絵の世界の奥深さと、そこに生きた女性の魂を伝える歴史小説です。美術館で浮世絵を見る目が確実に変わる、読み応え十分の一冊です。
Kindle版:眩(新潮文庫)
※当サイトはAmazonアソシエイト・プログラムの参加者であり、適格販売により収入を得ています。

