『美しき愚かものたちのタブロー』:国立西洋美術館の礎「松方コレクション」を守った人々の物語
日本に本物の美術館を作りたい——。その夢に人生を賭けた実業家・松方幸次郎と、戦火のパリでコレクションを守り抜いた人々を描く長編小説。国立西洋美術館の誕生秘話です。
はじめに:国立西洋美術館はなぜ生まれたのか
『美しき愚かものたちのタブロー』(原田マハ 著)は、国立西洋美術館の礎となった「松方コレクション」の数奇な運命を描く長編小説です。川崎造船所の社長・松方幸次郎は、大正から昭和にかけて私財を投じ、モネやロダンなど膨大な西洋美術品をヨーロッパで買い集めました。「日本の若者に本物を見せたい」という夢がどこへ流れ着いたのかを、史実をたどりながら物語る一冊です。
書誌情報:どんな本か
単行本は2019年5月、文藝春秋から刊行されました。四六判で441ページと、長編小説としてもかなりの厚みがあります。のちに文春文庫に収められているので、持ち歩いて読みたい方は文庫版を選ぶとよいでしょう。刊行の翌月にあたる2019年には、国立西洋美術館で開館60周年を記念する「松方コレクション展」も開かれており、本書はコレクションへの関心が高まった時期の一冊でもあります。
著者について
著者の原田マハさんは1962年生まれ。伊藤忠商事や森ビル森美術館設立準備室での勤務、ニューヨーク近代美術館(MoMA)での研修などを経て小説家になった、キュレーター出身の書き手です。2012年に『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞し、以後も『暗幕のゲルニカ』『たゆたえども沈まず』『リボルバー』など、実在の画家や作品を軸にした美術小説を書き続けてきました。美術館の内側を知る人だからこそ、本書でも「作品を保管し、運び、引き渡す」現場の手ざわりが具体的に描かれます。
内容の骨格:何がどの順で語られるか
物語は、松方が第一次大戦の海運景気を背景にロンドンやパリで作品を買い集めていく時代と、第二次大戦後にフランスに残されたコレクションを日本へ返してもらうための交渉が進む時代とを行き来しながら進みます。買い集める話だけでも、返還交渉の話だけでもなく、その二つが最後に一本につながるところが本書の設計です。読み進めるうちに、上野に西洋美術館という建物が建った理由そのものが明らかになっていきます。
この本ならではの点
松方幸次郎の評伝は他にもありますが、本書が光を当てるのは、パリに残ってコレクションの面倒を見続けた日置釭三郎という人物です。作品が戦火をくぐり抜けるまでの時間を、名を知られてこなかった人の側から描く。美術史の本では脚注に落ちてしまう役どころを主役級に引き上げるのは、著者の一貫した手つきでもあります。なお登場人物には実在の人物と創作された人物が混ざっており、あくまで史実に基づく小説として読むのが正しい距離のとり方です。
どんな読者に向くか
美術史の予備知識はいりません。印象派の画家の名前をいくつか知っていれば十分に楽しめます。一方で440ページ超の長編なので、辞書のように拾い読みする本ではなく、腰を据えて通読する本です。展覧会に行くのは好きだけれど美術の本は難しくて続かない、という方が最初に手に取る一冊として向いています。逆に、松方コレクションの学術的な来歴を厳密に調べたい方は、美術館の刊行する図録や研究誌を併用してください。
関連して見に行けるもの
読後にまず訪ねたいのは、東京・上野の国立西洋美術館です。1959年に開館したこの美術館は、フランスから寄贈返還された松方コレクションを収めるために建てられました。ル・コルビュジエの設計による本館は2016年に世界文化遺産に登録されています。常設展ではモネやロダンをはじめとする松方旧蔵の作品を通年で見ることができ、長らく行方の分からなかったモネの大作「睡蓮、柳の反映」も、ルーヴル美術館で見つかったのち日本に寄贈され、修復を経て公開されました。また、松方が集めた浮世絵の大半は東京国立博物館に収蔵されており、こちらも同じ上野公園の中にあります。
まとめ
『美しき愚かものたちのタブロー』は、一枚の絵の背後に何人の人生が積み重なっているかを教えてくれる長編小説です。読み終えたあとに上野へ行くと、見慣れたはずの常設展示室が、まるごと物語の続きに見えてきます。
Kindle版:美しき愚かものたちのタブロー(文春文庫)
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