葛飾応為:父・北斎が「自分よりうまい」と脱帽した、江戸の闇を光で照らした天才女絵師

葛飾応為:父・北斎が「自分よりうまい」と脱帽した、江戸の闇を光で照らした天才女絵師

画家

北斎の三女であり、父の助手として彼の名作の背景を手がけながら、独自の「吉原格子先之図」などの傑作を残したお栄(応為)。光と影の劇的なコントラストから「江戸のレンブラント」と呼ばれる女性絵師の一生。

はじめに:偉大な父の影から立ち上がる、光と影のイノベーター

葛飾応為(生没年不詳、19世紀に活動)は、葛飾北斎の三女であり、本名を「お栄(おえい)」といいます。現存する作品は十点あまりときわめて少ないにもかかわらず、その一点一点の完成度の高さから、近年になって世界的な再評価を受けている絵師です。

応為の最大の特徴は、それまでの浮世絵にほとんど存在しなかった人工的な光源による強烈な明暗表現にあります。行灯、提灯、格子から漏れる灯り。その光が闇を切り取る劇的な画面から、現代では「江戸のレンブラント」と呼ばれることもあります。

生涯:北斎の右腕として、その最晩年まで

生没年は正確には分かっていません。1800年前後に生まれ、1850年代以降まで生きたとみられます。町絵師の南沢等明と結婚しましたが離縁し、実家に戻りました。以後、北斎が90歳で没する1849年まで、父と暮らしながら制作を支えます。

その役割は単なる助手ではありませんでした。北斎晩年の作品において、彩色の多くを応為が担ったと考えられており、父娘は共同制作者に近い関係にあったとみられます。北斎自身が美人画については娘にかなわないと語ったという話が伝わりますが、これは明治期に編まれた伝記に載る伝承で、同時代の一次資料で裏づけられているものではありません。

「応為」という画名についても、北斎が娘を「おーい」と呼んだことに由来するという伝承がありますが、これも後世の記録に基づく話です。北斎の死後の消息もはっきりせず、いつどこで亡くなったのかは分かっていません。

画風の特徴:闇を描くために、光を置く

浮世絵の伝統は、輪郭線で形を決め、平坦な色面を並べるものでした。応為はそこに西洋の陰影法を持ち込みます。ただし単なる西洋の模倣ではありません。応為の画面では、光源そのものはしばしば隠され、光が当たったものだけが闇から浮かび上がります。そして光の届かない部分は、輪郭すら溶かして黒に沈めてしまう。この思い切った省略が、江戸の絵に劇場のような緊張を生みました。

もう一つの特徴は、細部の描写力です。着物の文様、楽器を押さえる指の関節、絞り染めの粒。闇のなかにわずかに見える部分ほど、異様な精度で描き込まれています。

代表作

  • 吉原格子先之図(太田記念美術館):応為の代表作。紙本着色、26.3×39.4センチという小さな画面に、吉原の妓楼「和泉屋」の張見世が描かれます。真っ暗な外の通りと、灯りに照らされて色鮮やかに輝く格子の内側。手前の人物はシルエットとして黒く沈み、その対比が江戸の夜そのものを立ち上げます。
  • 夜桜美人図(メナード美術館):19世紀半ば、絹本着色の掛軸(88.8×34.5センチ)。星空の下、石灯籠の灯りを頼りに短冊に筆を走らせる女性を描きます。驚くべきは夜空で、星が明るさの等級まで描き分けられており、応為の観察の徹底ぶりを示しています。
  • 三曲合奏図(ボストン美術館):中央に琴を弾く遊女、右に三味線の芸者、左に胡弓を弾く町娘。本来ならば同席するはずのない三つの身分の女性を一つの画面に組み合わせた、大胆な構想の作品です。フェノロサが企画した展覧会で高く評価されたことでも知られます。
  • 関羽割臂図(クリーブランド美術館):毒矢を受けた腕を医師に切開させながら、平然と碁を打つ関羽を描いた作品。美人画とはまったく異なる主題で、応為の画域の広さを伝えます。

同時代の絵師との関係

応為の絵師としての出発点は、当然ながら父・北斎です。北斎自身も晩年に西洋の陰影表現へ関心を寄せており、応為の光の探求はその延長線上にあります。ただし北斎が構図と線の運動に賭けたのに対し、応為は光量の差そのものを主題にした点で、明確に父を超えた領域に踏み込んでいます。なお、北斎門下の露木為一が二人の画室を写した図が残り、制作環境を伝えています。

日本で見られるか

数少ない現存作のうち、主要作が日本にあるのは幸運です。太田記念美術館(東京・原宿)が《吉原格子先之図》を、メナード美術館(愛知県小牧市)が《夜桜美人図》を所蔵しています。東京国立博物館は《月下砧打美人図》を所蔵しています。(《関羽割臂図》はクリーブランド美術館蔵で日本では見られません)いずれも肉筆画で光や絹の傷みに弱いため、常設展示ではなく期間限定の公開になることがほとんどです。展示情報を確認してから足を運んでください。見どころ《吉原格子先之図》の前では、まず照らされた部分ではなく、黒く沈んだ手前の人物を見てください。輪郭だけの黒い影として描かれた見物人たちがいるからこそ、格子の内側の光が痛いほど明るく感じられます。《夜桜美人図》では、絵に近づいて夜空の星を数えてみてください。大小の点が意図的に描き分けられていることに気づくはずです。応為の絵は、明るいところではなく暗いところにこそ工夫が詰まっています。

代表作ギャラリー

吉原格子先之図
吉原格子先之図19世紀前半太田記念美術館
夜桜美人図
夜桜美人図19世紀前半メナード美術館
三曲合奏図
三曲合奏図1800年ボストン美術館
関羽割臂図
関羽割臂図1844年クリーヴランド美術館

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)