田中一村:50歳で奄美へ渡り、無名のまま亜熱帯の楽園を描き切った「日本のゴーギャン」

田中一村:50歳で奄美へ渡り、無名のまま亜熱帯の楽園を描き切った「日本のゴーギャン」

画家

神童と呼ばれながら中央画壇と決別し、50歳で奄美大島へ移住した田中一村。染色工場で働いて画材を買い、亜熱帯の動植物を濃密に描き続けた孤高の日本画家。死後に「日本のゴーギャン」として再評価された生涯。

はじめに:死後に発見された、孤高の天才

田中一村(たなか・いっそん、1908-1977)は、昭和期の日本画家です。生前はほとんど無名のまま奄美大島で亡くなりましたが、死後にNHKの番組で紹介されると、その濃密で気高い花鳥画が一大センセーションを巻き起こしました。文明を離れて南の島で描き続けた生涯から「日本のゴーギャン」とも呼ばれますが、その徹底した観察と描写は、伊藤若冲ら江戸の花鳥画の系譜に連なる、まぎれもなく日本画の到達点のひとつです。

生涯:神童、決別、そして南の島へ

栃木県に生まれた一村は、彫刻家の父に手ほどきを受け、幼くして南画の神童と謳われました。東京美術学校日本画科に入学するも、わずか2カ月余りで退学。以後、中央画壇と距離を置き、千葉で農業をしながら独自の絵を模索します。公募展への挑戦は思うように実らず、1958年、50歳で単身奄美大島へ移住するという大きな決断を下しました。大島紬の染色工場で働いて金を貯めては、絵の制作に打ち込む生活を繰り返し、アダンの木や熱帯の鳥、海辺の風景を、装飾性と写実が一体となった唯一無二の画風で描き上げました。1977年、個展を開くことなく69歳で亡くなりましたが、その作品は今、鹿児島県奄美市の田中一村記念美術館などで多くの人々を魅了し続けています。

3つの代表作解説

  • アダンの海辺: 亜熱帯の海辺に立つアダンの木と、夕暮れの浜を描いた代表作。果実の一粒一粒まで描き込む執念と、画面全体を包む静謐な気配が共存しています。
  • 不喰芋と蘇鐵: クワズイモとソテツの生命力を、大画面いっぱいに構成した奄美時代の傑作。植物の造形美を追い続けた一村の集大成的作品です。
  • 白い花: 千葉時代に描かれた清楚な花鳥画。奄美時代の濃密さとは異なる、若き日の一村の澄んだ感性を伝えます。