クリスチャン・ボルタンスキー:不在を展示した作家
古着の山、電球、無数の顔写真。ボルタンスキーは、そこにいない誰かの気配だけで空間を満たしてきました。瀬戸内の豊島には世界中の心臓の音を集めた作品が、越後妻有には廃校をまるごと使った作品が、いまも常設で残っています。
クリスチャン・ボルタンスキー(1944-2021)は、記憶と不在をテーマにしたフランスの現代美術作家です。作品に登場するのは、名前のわからない誰かの写真、着る人のいない古着、消えていく音。目の前にいない人の気配だけで、空間を満たしてきました。
経歴
1944年、パリに生まれました。ユダヤ系の父はナチス占領下のパリで身を隠して生き延びており、その体験を語る家族の会話のなかで育ったことが、生涯の主題の背景にあります。美術学校には通わず、十代半ばから独学で絵を描き始めました。
1960年代末に自身の子ども時代を再現するような写真や箱の作品を発表し、注目されます。ただしそこに写っているのは本人ではなく、他人の写真でした。個人の記憶と集団の記憶の境目を意図的に曖昧にする手つきは、このころすでに確立しています。
作風と手法
使う素材は、驚くほど平凡です。裸電球、ブリキの箱、古着、拡大してぼやけた顔写真、心臓の鼓動の録音。特別な材料はひとつも使いません。しかしそれらを暗い空間に大量に積み上げると、途端に、失われた人々の集積のように見えてきます。
本人は自分の作品を「私が死んだあとも続いていくもの」と考えていました。作品の多くは、彼が作った物というより、他人が残していったものを集める装置として設計されています。
代表作
- モニュメント(1980年代ー)ー 顔写真を電球で照らし、祭壇のように積み上げた連作。世界各地の美術館が所蔵しています。
- ペルソンヌ(2010年)ー パリのグラン・パレを古着の巨大な山で埋めた展示。クレーンが服をつかんでは落とし続けました。
- 心臓音のアーカイブ(2010年)ー 香川県豊島に常設。世界中から集めた人々の心臓音を保存し、聴くことができます。
- 最後の教室(2006年)ー 新潟県十日町市松之山の旧東川小学校を丸ごと使った作品。ジャン・カルマンとの共同制作です。
- シャンス(2011年)ー ヴェネチア・ビエンナーレのフランス館で発表された、赤ん坊の顔写真が流れ続ける装置です。
国際的な評価
ドクメンタに複数回参加し、2011年のヴェネチア・ビエンナーレではフランス代表を務めました。2019年にはパリのポンピドゥー・センターで大規模な回顧展が開かれています。同じ2019年から2020年にかけて、大阪の国立国際美術館などを巡回する日本での個展も実現しました。2021年7月、パリで死去しました。
日本で見られる場所
ボルタンスキーは日本での仕事がとくに多い作家で、常設作品が複数残っています。ひとつは香川県豊島の「心臓音のアーカイブ」。海辺の小さな建物で、暗い部屋に入ると誰かの心臓の音が大音量で鳴り、その拍動に合わせて電球が明滅します。自分の心臓音を録音して永久に残してもらうこともできます。
もうひとつは新潟県十日町市松之山の「最後の教室」。廃校になった木造校舎に入ると、体育館の床一面が藁で覆われ、扇風機が回り、暗闇のなかに電球が並んでいます。学校という場所に残された時間そのものを扱った作品で、大地の芸術祭の会期外も公開されています(開館日は要確認)。
このほか越後妻有の施設にも彼の作品が置かれており、日本は世界的に見てもボルタンスキー体験の密度が高い場所です。
見どころ
どちらの作品でも、暗さと音がすべてです。豊島では、鳴っているのがすでに亡くなった誰かの心臓音かもしれない、という事実が効いてきます。松之山では、かつてここに子どもがいたという痕跡だけが残されています。作品を「見る」というより、いなくなった人の側に一時的に立たされる。それがボルタンスキーの仕掛けです。