須田悦弘:本物にしか見えない木彫の雑草
床の隅にぽつんと生えた一本の草。近づくと、それは彩色された木彫です。須田悦弘は展示室の思わぬ場所に作品を仕込み、鑑賞者の注意力を試します。手のひらほどの木彫が、空間全体を一変させます。直島の家プロジェクト「碁会所」は必見です。
須田悦弘(1969-)は、朴の木を彫って草花を作り、それを空間の意外な場所に配置する現代美術の作家です。作品そのものは手のひらに乗るほど小さいのに、置かれた空間全体を変えてしまう力を持っています。
経歴
1969年、山梨県に生まれました。1992年に多摩美術大学美術学部デザイン学科グラフィックデザイン専攻を卒業しています。彫刻科ではなくデザイン科の出身という点が、この作家の独特な立ち位置を物語っています。
学生時代の課題で乾物のスルメを木で彫ったことが、木彫に取り組むきっかけになったといいます。以後、雑草、チューリップ、朝顔、椿といった植物を、実物そっくりに彫り、彩色する制作を続けてきました。
作風と手法
須田の作品は、まず見つけてもらえないことがあります。何もない白い展示室に入って、しばらく歩き回り、壁の隅の小さな穴の中にようやく一輪の花を見つける。そういう体験を意図的に設計しています。
素材は朴の木。彫刻刀で葉脈や花弁の反り返りまで彫り出し、水彩絵具で彩色します。近づいて凝視しても、本物の植物と見分けがつきません。
しかし須田の作品の本体は、彫られた草花そのものではなく「置かれ方」のほうにあります。柱の陰、床板の隙間、階段の踊り場、天井近くの梁。どこに何を置くかを徹底的に検討し、空間の緊張が最も高まる一点に据える。そのため彼の作品を見るとき、鑑賞者は自然と空間そのものを見渡すことになります。
主な作品
- 《椿》(2006年):香川県直島の家プロジェクト「碁会所」。かつて島の人が碁を打ちに集まった建物を丸ごと作品化し、内部に木彫の椿を配しています。日本画家・速水御舟の《名樹散椿》に着想を得た作品です。
- 《雑草》(2002年):ベネッセアートサイト直島のために制作された作品です。
- 「Standard」「直島スタンダード2」(2001年、2006-07年):直島で開かれた大規模プロジェクトに参加し、島の空き家などに作品を仕込みました。
- 国立美術館各館や練馬区立美術館など、国内の公立美術館が作品を収蔵しています。
国際的な評価
細密な木彫という日本の工芸の伝統を、現代美術のインスタレーションとして成立させた点が国内外で評価されています。海外の美術館やギャラリーでも個展が開かれ、作品が収蔵されてきました。2012年には千葉市美術館で大規模な個展が開催され、美術館建築のあちこちに作品を仕込む展示方法が話題になりました。近年は明治神宮で開かれた芸術祝祭にも参加しています。
日本で見られる場所
家プロジェクト「碁会所」(香川県直島町本村地区)が最良の場所です。畳敷きの二間に、須田が彫った椿の花が散らばるように置かれています。そして庭には、本物の五色椿が植えられている。木彫の椿と生きた椿が、障子越しに向かい合う構成です。
季節によって、庭の椿は咲き、落ち、葉だけになります。けれども室内の木彫の椿は変わりません。生と造形、移ろうものと留まるもの――その対比が、静かな和室の中でひたひたと迫ってきます。家プロジェクトの共通チケットで、他の作品と合わせて見学できます。
同じ直島のベネッセハウス ミュージアムにも須田作品が収められており、館内を歩きながら探す楽しみがあります。
本州では、東京国立近代美術館など国立美術館各館や練馬区立美術館が作品を所蔵しており、コレクション展で公開されることがあります。ただし須田作品は展示室の目立たない場所に置かれることが多いため、係の方に場所を尋ねてみるのも一つの手です。
見どころ
須田悦弘の作品に会うコツは、ゆっくり歩き、しゃがみ、見上げることです。ふつうに歩いていては絶対に気づきません。碁会所の畳の上でも、視線の高さを変えるたびに花の見え方が変わります。何もないと思っていた空間に、実は精密なものが仕込まれていた――そう気づいた瞬間、日常のあらゆる場所を注意深く見る癖がつきます。作品が小さいぶん、体験は長く残る作家です。