草上の昼食:落選展を騒がせた近代絵画の出発点
- 作者
- エドゥアール・マネ
- 制作年
- 1863年
- 所蔵
- オルセー美術館
- 所在地
- フランス・パリ
エドゥアール・マネが1863年に描いた縦207センチ、横265センチの油彩画。1863年のサロンで落選し、落選展で最大の話題をさらいました。古典絵画を引用しながら常識を壊した、近代絵画の出発点です。オルセー美術館の上階29番展示室で見られます。
《草上の昼食》は、エドゥアール・マネが1863年に描いた縦207センチ、横265センチの油彩画です。木立のなかで、正装した二人の男性のかたわらに一人の裸の女性が座り、こちらをまっすぐ見返しています。1863年のサロンで落選し、同年に開かれた「落選展」で最大の話題をさらったこの絵は、近代絵画の出発点と呼ばれることの多い一枚です。
《草上の昼食》とは
原題はLe Déjeuner sur l'herbe。《水浴》(Le Bain)、《四人組》(La Partie carrée)という別題でも呼ばれます。制作年は1863年、技法は油彩・カンヴァス、寸法は縦207センチ、横265センチ、額を含めると縦243.5センチ、横305センチ。所蔵番号はRF 1668で、1906年のエティエンヌ・モロー=ネラトンの寄贈によりフランス国家の所有となりました。サロンの審査で落とされたマネは、ナポレオン三世がこの年に開設させた落選展にこの絵を《水浴》の題で出品し、笑いと非難を一身に集めることになります。落選展は、その年のサロンで大量の作品が落とされたことに世論が反発し、皇帝の判断で急きょ開かれた展覧会でした。皮肉なことに、その会場でもっとも人を集めたのがこの一枚です。作品はその後、歌手で美術収集家のジャン=バティスト・フォールの手に渡り、画商デュラン=リュエル、収集家エティエンヌ・モロー=ネラトンを経て、1906年に国家へ寄贈されました。
どこで見られる?
- 所蔵先:オルセー美術館
- 都市:フランス・パリ
- 展示室:上階(Niveau supérieur)29番展示室
- 予約の要否:公式サイトでの日時指定オンライン予約が推奨されています。月曜日は休館です。
開館時間や入館料は所蔵館の公式サイトで確認してください。
見どころ3選
- 古典絵画からの引用:マネはヨーロッパ美術の遺産に敬意を払っています。主題はルーヴルにあるティツィアーノの《田園の奏楽》(当時はジョルジョーネ作とされていました)から、中央の人物群の構図はラファエロの《パリスの審判》をマルカントニオ・ライモンディが版画にしたものから採られています。
- 明暗のつなぎ目をなくした筆:明るい部分と暗い部分のあいだの微妙な階調を、マネはあえて省きました。当時は「かたまりで見る病気」と非難された手法ですが、この乱暴なほどの対比が画面に生々しい強さを与えています。
- 奥行きを拒む背景:背後の森は素描のように粗く、遠近法も空間の深さも意図的に取り除かれています。そのため人物たちは風景のなかに収まりきらず、現実離れした場面として浮かび上がります。
描かれた背景
当時の観客が衝撃を受けたのは、裸の女性が神話の女神でも寓意でもなく、同時代の服を着た男性たちと並んでいたことでした。神話や寓意という言い訳がないまま裸体が現れると、それは芸術ではなく猥雑なものと受け取られたのです。マネ自身はこの絵を「四人組」と冗談まじりに呼んでいました。しかもマネは、この裸の女性に恥じらいの仕草をとらせていません。彼女は画面の外にいる私たちをまっすぐ見返し、その視線が、鑑賞という行為そのものを観客に突きつけます。技法の面でも、明暗の急な切り替えや平板な空間は当時の絵画の常識から外れており、批評家は困惑しました。それでも、主題と描き方の両方で慣習に従うことを拒んだこの態度こそが、伝統的な題材や表現から画家を解き放つきっかけになります。マネは古典を否定したのではなく、古典を引用しながら、その枠組みを同時代の現実で置き換えてみせたのです。今日この作品が近代美術の出発点と位置づけられるのは、そのためです。
まとめ
《草上の昼食》は、非難の的になった作品が美術の流れを変えてしまう瞬間を、そのまま封じ込めた一枚です。オルセー美術館の上階29番展示室では、印象派の作品群と同じフロアでこの絵に対面できます。マネが引用したティツィアーノの《田園の奏楽》はセーヌ川の対岸のルーヴルにありますので、時間があれば両方を訪ねてみてください。350年ほどを隔てた二枚を続けて見ると、マネが何を受け取り、何を意図的に壊したのかがはっきりと見えてきます。オルセーには同じマネの《オランピア》もあり、1863年前後のこの画家の挑戦をまとめて確かめられます。
