エコール・ド・パリ:狂乱の1920年代、モンパルナスに集った異邦人の画家たち
イタリアから来たモディリアーニ、ロシアから来たシャガール、そして日本から来た藤田嗣治。第一次大戦前後のパリに世界中から集まった画家たちが織りなした、自由と孤独の芸術群像です。
はじめに:「パリ派」という名の根無し草たち
エコール・ド・パリ(パリ派)とは、20世紀初頭から1920年代にかけて、世界中からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まった外国人画家たちの総称です。特定の様式を共有する流派ではありません。故郷を離れた根無し草(デラシネ)たちが、それぞれの孤独と個性を抱えて描いた、群像としての美術史です。
時代背景:狂乱の時代(レザネ・フォル)
第一次世界大戦の惨禍を越えたパリは、1920年代、「狂乱の時代」と呼ばれる爛熟した文化の黄金期を迎えます。カフェ「ラ・ロトンド」や「ル・ドーム」には画家、詩人、モデル、画商が夜ごと集い、貧しくも自由な芸術家生活——ボヘミアン神話——が生きられていました。安価なアトリエ「ラ・リューシュ(蜂の巣)」からは、後の巨匠たちが次々に巣立ちます。
絶対に知っておきたい!3つのポイント
1. モディリアーニ——夭折の伝説
アメデオ・モディリアーニは、細長い首とアーモンド形の目の肖像画で知られるイタリア出身の画家。結核に苦しみ35歳で世を去り、翌日に身重の恋人ジャンヌが後を追った悲劇とともに、エコール・ド・パリの神話そのものとなりました。
2. シャガール——空飛ぶ恋人たちの望郷
ロシア出身のマルク・シャガールは、故郷ヴィテブスクの記憶と妻ベラへの愛を、重力から解放された幻想的な画面に描き続けました。異邦人の望郷こそ、彼の色彩の源です。
3. 藤田嗣治——パリでもっとも有名な日本人
「乳白色の下地」に面相筆の細い線で描く裸婦で、藤田嗣治はパリ画壇の寵児となりました。日本画の技法と油彩を融合させたその画面は、エコール・ド・パリにおける東西融合のもっとも鮮やかな成果です。
まとめ
エコール・ド・パリは、国籍も様式も異なる画家たちが「パリ」という磁場で輝いた奇跡の時代です。多文化が芸術を豊かにすることを、これほど雄弁に語る例はありません。

