千住博:絵具を流して滝を描く日本画家
筆で描くのではなく、和紙の上に絵具を流して落とす。千住博の《ウォーターフォール》は日本画の技法を更新しました。軽井沢の個人美術館と、高野山金剛峯寺に奉納された44面の障壁画で、その到達点に会えます。暗室で発光する滝の部屋も必見です。
千住博(1958-)は、滝を主題とした大画面で国際的に知られる日本画家です。岩絵具と和紙という伝統的な素材を使いながら、現代美術としても成立する絵画を追求してきました。
経歴
1958年、東京都に生まれました。東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻に進み、同大学院の博士課程まで進んでいます。作曲家の千住明、ヴァイオリニストの千住真理子は弟妹にあたります。
1990年代の初めにニューヨークへ拠点を移しました。日本画という枠組みが通用しない場所で、それでも岩絵具で描き続ける――この選択が、滝という主題との出会いにつながります。
1995年、第46回ヴェネチア・ビエンナーレの絵画部門で、東洋人として初めて名誉賞を受賞しました。受賞対象となったのが《ウォーターフォール》です。
作風と手法
千住の滝は、筆で線を引いて描いたものではありません。和紙を貼った大きなパネルを傾け、上から絵具を流し落とす。重力にまかせて絵具が走った跡が、そのまま水の落下になります。
この方法には偶然の要素が大きく入り込みます。絵具の濃さ、紙の吸い込み、傾ける角度。制御しきれない部分を残すことで、実際の水がもつ不定形な生々しさが画面に定着します。地の色は多くの場合、深い藍や黒。暗闇のなかを白い水が落ちていくという、単純で強い構図です。
蛍光顔料を用い、暗室で発光する滝を描いた作品群もあります。
主な作品
- 《ウォーターフォール》(1995年):ヴェネチア・ビエンナーレ名誉賞受賞作。以後、滝は千住の代名詞となりました。
- 大徳寺聚光院伊東別院襖絵(2002年完成):静岡県伊東市にある大徳寺聚光院の別院に、全77面の襖絵を制作しました。1997年に着手した大仕事です。
- 高野山金剛峯寺 障壁画44面(2019年-2020年):大主殿の「茶の間」と「囲炉裏の間」に奉納された、総延長17メートルの《断崖図》と25メートルの《瀧図》です。
- 羽田空港国際線ターミナルの壁画ほか、公共空間に多くの大作を残しています。
- 国際的な評価
1995年のヴェネチア・ビエンナーレ名誉賞は、日本画という枠から出た画家の仕事が国際美術の文脈で認められた例として重要です。ニューヨークのメトロポリタン美術館をはじめ、海外の主要美術館が作品を収蔵しています。長く米国を拠点としながら、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)学長を務めるなど、日本の美術教育にも関わってきました。
日本で見られる場所
軽井沢千住博美術館(長野県軽井沢町)は、2011年に開館した千住の個人美術館です。建築家・西沢立衛の設計で、傾斜地をそのまま床にした、床が波打つ独特の建物です。館内には「ウォーターフォール」の大作をはじめ、初期作から近作までが並び、「ザ・フォールルーム」では蛍光顔料を用いた滝を暗い部屋で見ることができます。壁で区切らず、光が入る庭を挟んで作品を配置する展示方法も見ものです。
高野山金剛峯寺(和歌山県高野町)に奉納された障壁画44面は、大主殿の茶の間・囲炉裏の間に納められています。公開の時期や範囲は寺の判断によるため、訪問前に金剛峯寺の案内を確認してください。実際に人が使う和室の襖として滝が描かれているという点が、美術館の展示とはまったく違う体験を生みます。
大徳寺聚光院伊東別院(静岡県伊東市)の襖絵も、特別公開の機会に見ることができます。見どころ千住の滝は、離れて見ると静かですが、近づくと絵具が走った勢いが生々しく残っているのが分かります。一本一本の白い筋は、描かれた線ではなく、実際に絵具が落ちていった痕跡です。「描く」ことを手放して自然の力に委ねる――東洋の水墨が長く追い求めてきた態度が、現代の大画面で更新されています。軽井沢では、明るい部屋と暗い部屋を行き来しながら、その振れ幅を味わってみてください。