ジョット・ディ・ボンドーネ:中世の平らな壁に立体感と感情の命を吹き込み、西洋絵画の基礎を作ったルネサンスの父
「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」で知られるジョット。それまでの金箔一色の平面的なアイコン絵画から脱却し、初めて生身の人間の重みと悲しみの涙を描いて絵画の歴史をスタートさせた偉人。
ジョット・ディ・ボンドーネ(1267頃-1337)は、イタリアの画家です。西洋美術史では「絵画の創始者」「ルネサンスの父」と呼ばれます。ジョット以前の中世絵画は、金地の背景に平坦な聖人が記号のように並ぶものでした。ジョットはそこに、三次元的な空間の奥行きと、悲しみや驚きといった人間らしい表情、そして彫刻のような肉体の重みを持ち込みます。絵画は「崇拝するための聖なる記号」から「目の前で展開する人間の物語」になったのです。
生涯
フィレンツェ近郊ムジェッロ地方のヴィッキオ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ)に生まれたと伝えられます。羊を追いながら岩に石で羊を描いていた少年を、通りかかった大画家チマブーエが見出して弟子にした——という有名な話は、200年以上のちにヴァザーリが『芸術家列伝』に記したもので、事実かどうかは確かめられません。ただしチマブーエのもとで学んだこと自体は、古くから伝えられています。
ジョットは存命中から名声を得ました。ダンテは『神曲』煉獄篇で、絵画の名声はチマブーエからジョットへ移ったと書いています。アッシジ、パドヴァ、ローマ、ナポリ、ミラノと各地から招かれ、1334年にはフィレンツェ大聖堂の造営長官に任じられて鐘楼(ジョットの鐘楼)の設計に着手しました。しかし完成を見ぬまま、1337年1月にフィレンツェで没しています。
画風の特徴
技法は湿った漆喰に描くフレスコです。ジョットは人物を、量感のある塊としてとらえました。衣のひだが体の丸みに沿って回り込み、明暗が布の厚みをつくり、背後には岩山や建物が舞台装置のように置かれます。人物どうしは互いを見つめ、背を向け、身振りで語りかける。感情は顔だけでなく、うつむいた肩や握った手にも宿ります。色は青と赤紫、白の澄んだ組み合わせで、スクロヴェーニ礼拝堂ではラピスラズリの群青が壁全体を包みます。
代表作
- スクロヴェーニ礼拝堂壁画(1303-05年頃、パドヴァ):最高傑作。マリアとキリストの生涯を三段の帯に描き、西壁に《最後の審判》を配します。とりわけ《キリストの哀悼》では、地面に座り込む後ろ姿の人物、顔を歪めるマリア、身をよじって泣く天使たちが、ひとつの悲しみに引き込まれています。
- 聖フランチェスコの生涯(アッシジ、サン・フランチェスコ聖堂上院):28場面の連作。ジョットの作かどうかは研究者の間で今も議論が続いていますが、聖人の奇跡を同時代のイタリアの町並みのなかに描いた点で画期的です。
- 荘厳の聖母(オンニサンティの聖母、1310年頃、ウフィツィ美術館):玉座の聖母子。マリアの体の厚みと膝の立体感、天使たちの重なりが実在の空間をつくり出しています。同じ部屋にはチマブーエとドゥッチョの聖母子像が並び、変化を直接見比べられます。
- 十字架像(1290年代、フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会):重みで垂れ下がるキリストの身体を描いた大十字架。苦痛を負う生身の人間として表された点が新しい試みでした。
同時代の画家との関係
師とされるチマブーエはビザンティン様式の最後の大家で、ジョットはその技術を受け継ぎつつ方向を変えました。シエナではドゥッチョやシモーネ・マルティーニが優美な線と金地の伝統を洗練させており、フィレンツェの重厚なジョットとは好対照です。タッデオ・ガッディら多くの弟子が「ジョッテスキ」と呼ばれる一派を形づくり、1世紀のちのマザッチオがジョットの空間表現を受け継いで初期ルネサンスを開きました。
日本で見られるか
ジョットの作品は壁画が中心で、板絵も数が限られるため、国内に主要作品はありません。日本で本物に接する機会はまれで、鑑賞するにはパドヴァ、フィレンツェ、アッシジを訪ねる必要があります。
見どころ
スクロヴェーニ礼拝堂に立ったら、まず一人ひとりの「視線の向き」を追ってください。誰が誰を見ているかで、場面の物語が読み解けます。次に人物の足元を見ます。ジョットの人物は地面をしっかり踏んでおり、この重さこそが中世絵画との決定的な違いです。ウフィツィでは、チマブーエ、ドゥッチョ、ジョットの三点を順に見て、聖母の膝の奥行きがどう変わるかを比べるのが最良の鑑賞法です。
代表作ギャラリー








作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)


