マーク・ロスコ:色彩の層に精神性を宿した、抽象表現主義の瞑想的巨匠
ロシア生まれの移民として渡米し、色面を重ねる独自様式で抽象表現主義を代表する画家となったロスコ。高級レストランの装飾委嘱を自ら撤回した壁画は、巡り巡って日本の美術館にも安住の地を見出した。
マーク・ロスコ(1903-1970)は、抽象表現主義、なかでも大きな色面を用いる「カラーフィールド・ペインティング」を代表するアメリカの画家です。輪郭のぼやけた矩形が重なり合う作品は、色彩の実験ではなく、鑑賞者に瞑想的・精神的な体験をもたらすことを目指したものでした。ロスコ自身は自分の絵を抽象画と呼ばれることを嫌い、悲劇や恍惚といった人間の根本的な感情を扱っていると語っています。
生涯:移民の子から、商業主義との対決へ
1903年、ロシア帝国のドヴィンスク(現在のラトビア・ダウガフピルス)のユダヤ人家庭に生まれました。本名はマルクス・ロトコヴィッチ。1913年に家族とともにアメリカへ渡り、オレゴン州ポートランドで育ちます。奨学生としてイェール大学に進みますが中退し、ニューヨークへ移りました。
アート・スチューデンツ・リーグで学び、画家ミルトン・エイヴリーとの交流を通じて、形を単純化し色面で構成する方法を知ります。1930年代は都市の情景や地下鉄の人物を描き、1940年代前半には神話やシュルレアリスムに接近しました。輪郭のにじんだ矩形が浮遊する独自の様式に到達したのは1949年前後のことです。
1958年、ニューヨークの高級レストラン「フォー・シーズンズ」の壁画装飾を依頼され、約30点を制作します。しかし実際にその店で食事をした際、豪奢で商業的な空気に強い嫌悪を抱き、報酬を返還して契約から降りました。この「シーグラム壁画」の一部は後にロンドンのテート・ギャラリーへ贈られ、その到着日は、ロスコが自ら命を絶った1970年2月25日と重なっています。66歳でした。
画風の特徴
ロスコの絵を他の抽象画と分けるのは、絵具の「薄さ」です。油絵具を溶剤で薄く溶き、何層も染み込ませるように塗り重ねるため、下の層が透けて色が内側から光って見えます。輪郭は筆でぼかされ、矩形は壁に貼られた形ではなく、空中に浮かんで呼吸しているように感じられます。もう一つは大きさです。彼は鑑賞者が絵から数十センチの距離に立つことを望みました。視界いっぱいに色が広がり、絵を「見る」のではなく色の中に「入る」状態を作るためです。晩年は色が暗く沈み、黒や茶、深い赤の作品が増えていきます。
代表作
- ナンバー61(錆と青)(1953年、ロサンゼルス現代美術館):多色の矩形が層状に重なり、輪郭がぼやけて内なる光を放つ、成熟期の様式を代表する一点です。
- シーグラム壁画(1958-59年、テート、ワシントン・ナショナル・ギャラリー、DIC川村記念美術館ほか):レストラン装飾用に描かれながら画家自身が撤回し、最終的に美術館という瞑想の場に落ち着いた連作です。
- ナンバー14、1960年(サンフランシスコ近代美術館):オレンジとダークブルーの色面が浮かぶ縦約2.9メートルの大作。同館屈指の看板作品です。
- ハーバード大学壁画(1962年):食堂に設置されたものの光による退色が深刻となり、後にデジタル投影による色の復元が試みられた特異な作例です。
- ロスコ・チャペル(1964-67年制作、1971年開館、ヒューストン):八角形の礼拝堂のために描かれた暗色の大画面群。ロスコの理想とした空間が実現した場所です。
同時代の画家との関係
最も影響を受けたのは年長の画家ミルトン・エイヴリーで、色面による単純化という方向を彼から学びました。同世代のバーネット・ニューマン、クリフォード・スティル、アドルフ・ゴットリーブとは、大画面と色による表現を共有する仲間です。一方、同じ抽象表現主義でも、絵具を撒き散らすジャクソン・ポロックの身体的な制作とは対照的で、ロスコは静止と沈黙を選びました。彼はそもそも「抽象表現主義」という括りそのものを拒み、自分は色ではなく感情を描いていると主張し続けています。
日本で見られるか
ロスコの作品を、日本はきわめて重要な形で持っています。千葉のDIC川村記念美術館は《シーグラム壁画》7点を所蔵し、専用の「ロスコ・ルーム」で長く公開してきました。同館は2025年3月末で休館しましたが、この7点は東京・六本木の国際文化会館に新設される展示室へ移されることが発表されており、SANAAの設計による新しいロスコ・ルームでの公開が予定されています。世界でもシーグラム壁画をまとめて見られる場所は数えるほどしかなく、日本はその一つです。
見どころ
ロスコの前では、まず一般的な鑑賞距離を捨ててください。彼自身が望んだのは、画面から数十センチという至近距離です。そこまで近づくと、矩形の縁が呼吸するように揺れて見えます。次に、その場に数分立ち止まってください。目が慣れるにつれ、最初は一色に見えた面の下から、別の色の層が浮かび上がってきます。照明が暗いと感じても、それは意図されたものです。急がず、時間をかけることが唯一の作法です。
