バンクシー:顔のない世界的アーティスト、ステンシルに込めた痛烈な風刺とユーモア
正体不明のまま世界で最も有名なアーティストとなったバンクシー。ステンシルによる神出鬼没のストリートアートと、オークション会場での「シュレッダー事件」など、常識を揺さぶり続ける活動の全貌。
バンクシー(生年非公表)は、イギリスを拠点に活動する、正体を明かさないストリートアーティストです。型紙にスプレーを吹き付けるステンシル技法で、風船に手を伸ばす少女や、火炎瓶の代わりに花束を投げる男といったイメージを、世界各地の壁に神出鬼没に残してきました。戦争、消費社会、監視社会への痛烈な風刺を、誰にでも伝わるユーモアで包むその作品は、美術館の外側から現代アートの常識を揺さぶり続けています。
生涯:ブリストルの壁から、世界の壁へ
本人は生年も本名も明かしていませんが、1990年代にイギリス西部の港町ブリストルのグラフィティ・シーンから登場したことは、ほぼ確実とされています。当初はフリーハンドで描いていましたが、短時間で仕上げられるステンシルへ移行し、これが生涯の武器となりました。
2000年代に入るとロンドンを拠点に活動が加速します。美術館に無断で自作を持ち込んで展示するゲリラ行為、2005年のパレスチナ分離壁への壁画、2010年に発表した映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネート)など、その一挙一動が世界的なニュースになりました。2015年には英国ウェストン・スーパー・メアで、遊園地を丸ごと皮肉った期間限定プロジェクト「ディズマランド」を実現しています。
2018年10月、ロンドンのサザビーズで《風船と少女》が約104万ポンドで落札された直後、額縁に仕込まれたシュレッダーが作動し、画面の下半分が裁断されました。細断された作品は《愛はゴミ箱の中に》と改題され、2021年の再売却では約1860万ポンドという、当時の作家自身の最高額で落札されています。現在も正体は公表されないまま、街頭での制作を続けています。
画風の特徴
切り抜いた型紙を壁に当て、スプレーを吹き付けるステンシルが基本技法です。数分で仕上げられるため、通報される前に立ち去れるという実利がありました。色数は極端に少なく、黒一色に赤だけを差すといった構成が多く、遠目にも一瞬で意味が伝わります。ネズミ、猿、警官、兵士、そして子どもが繰り返し登場し、権力と弱者の関係を反転させる場面が好んで描かれます。壁のひび、排水管、監視カメラといった現場の要素を絵の一部に取り込む点も大きな特徴です。
代表作
- 風船と少女(2002年頃、ロンドン・サウスバンク):ハート形の風船に手を伸ばす少女。壁の原画は失われましたが、版画やキャンバス作品として広く知られます。
- 花束を投げる男(ラブ・イズ・イン・ジ・エア)(2003年、ベツレヘム):火炎瓶ではなく花束を投げようとする覆面の男。暴力への対案としての愛を示した代表作です。
- ウォールド・オフ・ホテル(2017年、ベツレヘム):分離壁に面した実際に宿泊できるホテル。「世界一眺めの悪いホテル」を名乗る大規模作品です。
- ゲーム・チェンジャー(2020年):看護師をヒーロー人形に見立てた絵で、英国サウサンプトン総合病院に贈られ、翌年の競売の収益は医療慈善団体に寄付されました。
同時代の作家との関係
ステンシルによる路上表現の直接の先達は、1980年代のパリで活動したフランスのブレック・ル・ラットです。バンクシー自身、彼の影響を公言しています。同世代では、オバマ大統領の《HOPE》ポスターで知られるシェパード・フェアリーと並び称され、1980年代のニューヨークでキース・ヘリングやジャン=ミシェル・バスキアが切り拓いた「路上から美術館へ」という道筋の、現代における継承者と位置づけられます。
日本で見られるか
日本の美術館に主要作品はほとんどありません。2019年に東京都港区の防潮扉でネズミを描いた絵が見つかり、東京都が保管して公開したことがありますが、本人による作品かどうかは確認されていません。国内で開かれる展覧会の多くは、版画やグッズを集めた非公認の企画です。
見どころ
実物を前にしたら、まず絵そのものより置かれた場所を見てください。何の壁か、隣に何があるか——バンクシーの作品は、その場所と組み合わさって初めて意味が完成します。次に、ステンシル特有のエッジのにじみや、型紙の重なりが生む段差を近くから確かめてみてください。数分で仕上げられた痕跡そのものが、この作家の方法を物語っています。
