マリー・ローランサン:灰色とパステルカラーの夢、エコール・ド・パリに咲いた乙女の画家

マリー・ローランサン:灰色とパステルカラーの夢、エコール・ド・パリに咲いた乙女の画家

画家

淡いグレーとピンクの色調で夢見るような乙女たちを描き、エコール・ド・パリで独自の地位を築いたマリー・ローランサン。詩人アポリネールとの恋でも知られる、パリの女性画家の華やかで孤独な生涯。

マリー・ローランサン(1883-1956)は、フランスの画家です。灰色を帯びたパステルカラーと、黒い瞳の夢見るような女性像で、20世紀前半のパリに独自の位置を築きました。

生涯:モンマルトルの青春から、亡命と復帰へ

1883年、パリで婚外子として生まれ、母の手で育てられました。はじめセーヴルで磁器の絵付けを学び、その後アカデミー・アンベールで絵画に転じます。ここで出会ったのがジョルジュ・ブラックでした。ブラックの紹介でモンマルトルの共同アトリエ「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」に出入りするようになり、ピカソら前衛の輪に加わります。

詩人ギヨーム・アポリネールとは1907年頃から約5年間、恋人として過ごしました。1912年に破局し、1914年にドイツ人男爵オットー・フォン・ヴェッチェンと結婚。直後に第一次世界大戦が始まり、敵国人となった夫とともにスペインへ亡命します。ドイツ、スペインでの不安定な暮らしを経て1920年に離婚し、1921年にパリへ戻りました。

帰国後は時代が味方します。1920年代のパリで肖像画の注文が相次ぎ、1924年にはバレエ・リュスの《牝鹿》の舞台美術と衣装を担当しました。挿絵の仕事も多く手がけています。1956年、パリで72歳で没しました。

画風の特徴

色数を意図的に絞り、灰色、淡い桃色、水色、黒を主軸にします。輪郭は柔らかくぼかされ、女性たちの顔は個々の特徴よりも共通の型に近づけられます。初期にはキュビスムの影響を受けた面的な構成も試みましたが、やがて画面全体を薄く均質な色調で包む独自の様式に落ち着きました。

代表作

  • アポリネールとその友人たち(1909年/ポンピドゥー・センター):アポリネール、ピカソらと自身を描いた群像。若い前衛たちの記念碑です。
  • マドモワゼル・シャネルの肖像(1923年/オランジュリー美術館):ココ・シャネルを描いた肖像。シャネルは受け取りを拒み、絵は画家の手元に残りました。
  • 牝鹿と二人の女(1923年/ひろしま美術館):バレエ《牝鹿》と同時期の主題で、ローランサン様式の完成期を示します。
  • ヴァランティーヌ・テシエの肖像(1933年/ポーラ美術館):女優を描いた肖像で、円熟期の代表例です。
  • バレエ《牝鹿》の舞台美術・衣装(1924年):バレエ・リュスのために手がけ、国際的な評価を決定づけました。

同時代の画家との関係

ブラックは絵の道での最初の友人であり、彼を通してピカソやアポリネールの輪に入りました。キュビスムの展覧会にも初期には参加していますが、分析的キュビスムの方向には進まず、フォーヴィスムの激しい色彩にも与しませんでした。同じエコール・ド・パリのモディリアーニ、シャガール、藤田嗣治とは活動時期を共有しています。

日本で見られるか

ひろしま美術館が《牝鹿と二人の女》《二人の女》《花束を持つ婦人》など複数の油彩を所蔵し、常設展示で見られます。ポーラ美術館も《ヴァランティーヌ・テシエの肖像》《風景のなかの二人の女》などを所蔵しています。なお、長野県茅野市の蓼科高原にあったマリー・ローランサン美術館は2011年に閉館し、東京へ移って再開したのち2019年1月に再び閉館しました。現在、専門館としての常設施設はありません。

見どころ

実物の前ではまず、絵具の薄さを確かめてください。多くの作品でカンヴァスの目が透けており、色は塗り重ねられるのではなく薄く置かれています。次に黒い部分を探してください。瞳、髪、リボンなど限られた場所にだけ黒が使われ、その少量の黒が淡い画面全体を締めています。この配分がローランサンの色の要です。