モーリス・ユトリロ:白の時代、モンマルトルの路地だけを描き続けた孤独な画家

モーリス・ユトリロ:白の時代、モンマルトルの路地だけを描き続けた孤独な画家

画家

画家シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれ、アルコール依存の治療として絵を始めたユトリロ。漆喰の壁の白が滲む「白の時代」のモンマルトル風景は、エコール・ド・パリの哀愁そのものです。

はじめに:治療として始まった絵が、伝説になった

モーリス・ユトリロ(1883-1955)は、モンマルトルの風景を描き続けたフランスの画家です。母は画家のシュザンヌ・ヴァラドン。父親のわからない子として生まれ、十代でアルコール依存症となり、その治療の一環として母に勧められた絵画が、彼の人生を(完全にではないにせよ)救いました。正規の美術教育をほぼ受けていない、エコール・ド・パリの中でも特異な存在です。

生涯:母の名、他人の姓

ユトリロはパリで、18歳の未婚の母のもとに生まれました。母シュザンヌ・ヴァラドンはサーカスの曲芸師からルノワールやロートレックのモデルとなり、やがて自らも力強い画家になった女性です。実父が誰かは特定されておらず、モーリスが8歳のとき、母の知人であるスペイン人の美術批評家ミゲル・ユトリロが認知したため、「ユトリロ」の姓を名乗ることになりました。

十代でアルコール依存に陥り、20歳前後、医師の助言もあって母が絵を勧めたのが画業の始まりでした。以後、飲酒と療養と制作を繰り返す生活が長く続きます。

1909年にサロン・ドートンヌに入選、1920年代には画商が競って作品を求めるほどの人気となり、1928年にはレジオン・ドヌール勲章を受章しました。1935年に結婚してパリ郊外ル・ヴェジネに移り、飲酒から遠ざかった穏やかな晩年を送ります。1955年、南西部の保養地ダックスで71歳で没しました。

画風の特徴:絵具に混ぜられた「壁そのもの」

ユトリロの画業は、色調によっていくつかの時期に分けられます。初期の暗い「モンマニー時代」、そして1908年頃から数年間の「白の時代」、さらに旗や人物が彩りを添える「色彩の時代」です。

頂点とされる白の時代の秘密は、材料にあります。ユトリロは絵の具に石膏や砂、卵の殻などを混ぜ、モンマルトルの漆喰壁のざらついた質感そのものを画面に再現しました。だから彼の白壁は、描かれた壁というより壁の断片そのもののように見えます。

もう一つの特徴は人の不在です。街には人がほとんど描かれず、いてもマッチ棒のような小さな後ろ姿にすぎません。賑やかなはずのモンマルトルが、彼の画面では静まり返っている。その孤独の気配こそが、世界中の人の心を掴みました。

代表作

  • コタン小路(1910年頃/ポンピドゥー・センター国立近代美術館ほか):急な階段が続くモンマルトルの細い路地。ユトリロが繰り返し描き、最も知られた構図です。
  • ラパン・アジル:モンマルトルの伝説的なキャバレーを描いた一連の作品。ピカソら芸術家が集った場所を、彼は無人の建物として描きました。
  • サン=ピエール教会:モンマルトルの丘に立つ古い教会。白い壁と灰色の空が、白の時代の質感をよく伝えます。
  • マルカデ通り(1909年/名古屋市美術館):日本国内で見られる初期の一点です。
  • シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂(ひろしま美術館):パリを離れた地方の聖堂を描いた作品で、これも国内で鑑賞できます。

同時代の画家との関係

ユトリロにとって最大の存在は、母であり画家でもあったシュザンヌ・ヴァラドンでした。母は師であり、保護者であり、時に厳しい管理者でもあります。母の若い夫となった画家アンドレ・ユッテルと三人で暮らした時期もあり、その複雑な家族関係は生涯ユトリロを揺さぶりました。

モンマルトルではピカソ、モディリアーニ、スーティン、キスリングらエコール・ド・パリの画家たちと同じ時代・同じ坂道を生きていますが、ユトリロは彼らの前衛的な実験には加わりませんでした。母が学んだドガや、風景画家コローらの伝統に近い位置で、ひとり路地を描き続けたのです。

日本で見られるか

ユトリロは日本で人気が高く、国内の所蔵も豊富です。ポーラ美術館ひろしま美術館名古屋市美術館などが作品を持ち、常設展示で出会える機会があります。2025年には SOMPO美術館 で大規模な回顧展も開かれました。エコール・ド・パリのコレクションを持つ国内の美術館は多いので、近隣の館の所蔵作品を調べてみてください。

見どころ:実物の前で何を見るか

  • 壁の質感に注目:白壁のひび、汚れ、剥がれ。近づいて絵肌を見ると、街の年月と画家の孤独が層になっているのがわかります。
  • 白の種類を見分ける:同じ白でも、灰色がかった白、青みの白、黄ばんだ白が塗り分けられています。
  • 「サクレ・クール寺院」を探す:ユトリロが繰り返し描いた白い聖堂。同じモチーフの時期による違いを見比べるのも一興です。

まとめ

ユトリロは、華やかなパリの裏側の静けさを描いた画家です。技巧を超えた切実さが胸を打つ、エコール・ド・パリの哀愁の代名詞です。

代表作ギャラリー

サン=リュスティック通り
サン=リュスティック通り1950年
サクレ・クール寺院
サクレ・クール寺院1934年頃
モンマルトルのラパン・アジル
モンマルトルのラパン・アジル1936年頃
Toits à Montmagny
Toits à Montmagny1906年パリ国立近代美術館
L'Impasse Cottin
L'Impasse Cottin1913年パリ国立近代美術館
Notre-Dame
Notre-Dame1909年オランジュリー美術館
Église de Clignancourt
Église de Clignancourt1914年オランジュリー美術館
Église de Pont-Saint-Martin (Loire-Atlantique)
Église de Pont-Saint-Martin (Loire-Atlantique)1917年

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)