黒田清輝:フランスの明るい光を日本へ持ち込み、日本の洋画界の基礎を築いた「近代洋画の父」

黒田清輝:フランスの明るい光を日本へ持ち込み、日本の洋画界の基礎を築いた「近代洋画の父」

画家

「湖畔」や「読書」で知られる黒田清輝。東京国立博物館の黒田記念館に眠る巨星。フランスから光あふれる外光派(紫派)の画風を日本に輸入し、東京美術学校の西洋画科の初代ボスとして日本の洋画を育て上げたドンの一生。

黒田清輝(1866-1924)は、明治から大正にかけて活躍した洋画家です。フランスで学んだ明るい外光表現を日本にもたらし、美術教育と画壇の制度づくりにも力を尽くしたことから「近代日本洋画の父」と呼ばれます。

生涯:法律家を志してパリへ、画家として帰国

1866年8月9日、薩摩国鹿児島城下に、薩摩藩士・黒田清兼の子として生まれました。幼くして伯父にあたる子爵・黒田清綱の養子となり、東京で育ちます。1884年、法律を学ぶためフランスへ留学しました。しかしパリで画家たちと交わるうちに絵の道を志し、1886年に転向を決意。アカデミー系の画家ラファエル・コランに師事します。

約9年の滞欧を経て1893年に帰国。1895年、京都で開かれた第4回内国勧業博覧会に裸婦を描いた《朝妝(ちょうしょう)》を出品すると、公共の場に裸体画を掲げることの是非をめぐって大きな論争が起こりました。この《朝妝》は第二次世界大戦中の空襲で焼失しています。

1896年、久米桂一郎らと美術団体・白馬会を結成し、同年に新設された東京美術学校西洋画科の指導にあたりました。1910年に帝室技芸員、1920年には貴族院議員、1922年には帝国美術院院長に就任し、美術行政の中心にも立ちます。1924年7月15日、東京で没しました。遺言により財産の一部が美術振興に充てられ、これをもとに1928年、上野に黒田記念館が建てられました。

画風の特徴

黒田が日本にもたらしたのは、屋外の自然光のもとで対象を捉える「外光派」の描き方です。それまで日本の油彩は、暗い室内で描かれた褐色を基調とする画面が主流でしたが、黒田は影に紫や青を用い、画面全体を明るく保ちました。この色づかいから、黒田とその一派は「紫派」「新派」と呼ばれます。筆致は細かく刻むのではなく、面をつくるように置かれ、輪郭はやわらかくぼかされます。主題は風景と人物が中心で、とりわけ日本の日常の情景に西洋絵画の構図を適用した点に特色があります。また、複数の裸婦像を並べて理念を表す「構想画」に挑み、油彩による思想表現を日本に根づかせようとしました。

代表作

  • 湖畔(1897年・重要文化財・東京国立博物館 黒田記念館):箱根・芦ノ湖のほとりで団扇を手にする浴衣姿の女性。モデルは後に妻となる金子種子(照子)です。
  • 智・感・情(1899年・重要文化財・東京国立博物館 黒田記念館):金地を背に三人の裸婦を並べた三部作。1900年のパリ万国博覧会に出品されました。
  • 読書(1891年・重要文化財・東京国立博物館 黒田記念館):フランス滞在中に描かれた出世作で、窓辺の光の中で本を読む女性を描いています。
  • 舞妓(1893年・重要文化財・東京国立博物館 黒田記念館):帰国直後、京都で描いた作品。日本の風俗を外光派の手法で捉えました。
  • 昔語り下絵(東京国立博物館 黒田記念館):本画は戦災で失われ、下絵と習作が残る大作の構想画です。

同時代の画家との関係

パリではラファエル・コランに学び、同じくコランに師事した久米桂一郎とは生涯の盟友となりました。帰国後、二人は画塾・天真道場を開き、白馬会を組織します。それ以前から日本にあった洋画の流れ、すなわち浅井忠らの明治美術会の「旧派」に対して、黒田らは「新派」と呼ばれ、二つの潮流が並び立ちました。東京美術学校での教え子には、青木繁、藤島武二(同僚でもあります)、和田英作、岡田三郎助、そして藤田嗣治らがおり、その後の日本洋画の広い範囲に影響が及んでいます。

日本で見られるか

作品の中心は国内にあります。東京国立博物館 黒田記念館(東京・上野)が《湖畔》《智・感・情》《読書》《舞妓》をはじめとする主要作品を所蔵し、特別室での公開が年に数回設けられています。ほかに鹿児島市立美術館(鹿児島)、アーティゾン美術館(東京)、ポーラ美術館(神奈川・箱根)などが作品を持ちます。公開時期は限られるため、訪問前の確認をおすすめします。

見どころ

《湖畔》の前では、まず影の色を見てください。浴衣の襞や女性の首筋に落ちる影が、黒ではなく淡い紫や青で置かれています。これが黒田の持ち込んだ最大の新しさです。次に湖面と背景の処理に注目を。細部を描き込まず、大きな刷毛の跡を残したまま仕上げられており、湿った夏の空気がそのまま定着しています。三つめは筆の速度です。顔は丹念に、周囲は素早く、という描き分けが、視線を自然と人物へ導きます。《智・感・情》では、日本人の身体を西洋の理想像の枠組みで描こうとした葛藤そのものが、ポーズの硬さに表れている点を見てみてください。

代表作ギャラリー

湖畔
湖畔1897年東京国立博物館(黒田記念館)
読書
読書1891年東京国立博物館(黒田記念館)
智・感・情
智・感・情1899年東京国立博物館(黒田記念館)
ブレハの少女
ブレハの少女1891年アーティゾン美術館
朝妝
朝妝1893年
昔語り
昔語り1898年
裸体婦人像
裸体婦人像1901年静嘉堂文庫
婦人像(厨房)
婦人像(厨房)1892年東京芸術大学大学美術館

作品画像はパブリックドメイン(出典: Wikimedia Commons)