ゲルニカ:無彩色で描かれた爆撃の記憶

ゲルニカ:無彩色で描かれた爆撃の記憶

名画
作者
パブロ・ピカソ
制作年
1937年
所蔵
ソフィア王妃芸術センター
所在地
スペイン・マドリード

ピカソが1937年に約1か月で描いた縦3.5メートル×横7.8メートルの大作。マドリードのソフィア王妃芸術センター、サバティーニ棟2階の205.10室で公開されています。

《ゲルニカ》は、パブロ・ピカソが1937年5月1日から6月4日にかけてパリで描いた縦349.3センチ×横776.6センチの大作です。スペイン内戦下でバスク地方の町ゲルニカが空爆されたことに対する反応として制作されました。現在はマドリードのソフィア王妃芸術センターが所蔵しています。

ゲルニカとは

美術館の記録では、技法はカンヴァスに油彩、登録番号はDE00050、1992年に同館の所蔵となっています。制作期間はわずか1か月あまりで、この規模の絵としては異例の速さです。

画面には色がほとんど使われていません。白、黒、灰色だけで構成され、明るい色彩は徹底的に排除されています。牡牛、傷ついた馬、死んだ子を抱いて泣く女、切断された腕と折れた剣、そして電球とランプ。個々の要素は具体的でありながら、特定の場所や日付を示す記号は一切描かれていません。

どこで見られる?

  • 所蔵先:ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía)
  • 都市:スペイン・マドリード
  • 展示室:サバティーニ棟の2階、205.10室。同じ部屋とその周辺には、ピカソが制作過程で描いた習作や、ドラ・マールが撮影した制作中の記録写真も並び、一枚の絵が生まれる過程をたどれる構成になっています。
  • 予約:入館券はオンラインで事前購入できます。無料入場の時間帯が設けられている日もありますが、条件は変更されるため公式サイトでの確認が必要です。
  • 注意:作品の前は非常に混み合います。撮影の可否など館内ルールは変更されることがあるので、来館時の掲示に従ってください。

開館時間や入館料は所蔵館の公式サイトで確認してください。

見どころ3選

  • 色を捨てた選択:無彩色は、当時の新聞報道の白黒写真を想起させます。ピカソはこの事件を新聞の写真で知りました。絵画を報道の側に引き寄せる手段として、色の放棄が働いています。
  • 天井の電球:画面上部、目のような形の中に鋸歯状の電球が描かれています。爆撃機の閃光とも、真実を照らす人工の光とも読める中心的なモチーフです。
  • 実物の大きさ:横8メートル近い画面は、立った鑑賞者の視野に収まりきりません。図版では一望できてしまう構図が、実物では視線を左右に動かさざるをえない体験に変わります。

描かれた背景

1937年4月26日、スペイン内戦のさなか、ドイツ空軍によってバスク地方の町ゲルニカが爆撃されました。ピカソはこの惨事をフランスの新聞に掲載された写真と記事によって知ります。当時彼はパリ万国博覧会のスペイン館に飾る壁画の依頼を受けていましたが、主題を決めかねていました。報道に接した直後から制作が始まります。

作品はスペイン共和国政府がピカソから取得しましたが、第二次世界大戦の勃発を受け、ピカソは終戦までニューヨーク近代美術館(MoMA)に預けることを決めました。1958年には貸与を無期限に延長し、スペインに民主的な自由が回復するまで返還しないという意思を示します。作品がスペインに戻ったのは1981年、ソフィア王妃芸術センターに移されたのは1992年のことでした。

つまりこの絵は、40年以上にわたって「祖国に帰れない絵」でした。作品の場所そのものが政治的な主張として機能した稀な例です。移送のたびに大規模な議論が起こり、1992年の移動を記録した映像作品まで作られています。現在は保存上の理由から、原則として館外へ貸し出されません。実物を見るにはマドリードへ行くしかない、という状態が続いています。

制作の過程も詳細に記録されています。ピカソの当時の恋人であった写真家ドラ・マールが、制作中のアトリエを継続的に撮影しました。おかげで、拳を振り上げた人物像が途中で消されたことや、牡牛と馬の向きが何度も描き変えられたことなど、構図が大きく動いていった経緯を追跡できます。展示室でこれらの記録写真と習作を先に見てから本体に向かうと、完成した画面の一つ一つの選択が、迷いの末に残ったものだとわかります。

まとめ

マドリードのソフィア王妃芸術センター、サバティーニ棟2階205.10室。習作や記録写真とともに見ることで、この絵が一気に描き上げられながら何度も構図を練り直された過程が見えてきます。プラド美術館から徒歩圏内なので、同じ日に組み合わせて訪ねる人が多い美術館です。