片岡球子:「落選の神様」から文化勲章へ、燃える富士と面構の型破りな日本画家
若い頃は落選続きで「落選の神様」と呼ばれながら、独自の道を貫いて文化勲章に至った片岡球子。歴史人物の「面構」シリーズと燃えるような「富士山」で知られる、型破りな情熱の画家の生涯。
はじめに:「ゲテモノ」と言われても、曲げなかった
片岡球子(かたおか・たまこ、1905-2008)は、昭和から平成にかけて活躍した日本画家です。緑や朱に燃え上がる富士山、歴史上の人物をにらみつけるような迫力で描く「面構(つらがまえ)」シリーズ。常識はずれの強烈な色彩と造形は、若い頃「ゲテモノ」とまで酷評されました。それでも球子は自分の絵を曲げることなく描き続け、103歳まで生き、日本画の歴史にただ一人の場所を築きました。
生涯:教師を続けながら、落選にも屈せず
1905年、札幌市に生まれました。画家になることに父が強く反対するなか、女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科に進学。卒業後は横浜の大岡尋常高等小学校の教員となり、教壇に立ちながら制作を続けます。教職はその後およそ29年にわたりました。
1930年、第17回院展に《枇杷》で初入選。25歳のときです。しかしその後は落選が続き、心ない者から「落選の神様」というありがたくないあだ名をつけられました。それでも球子は出品をやめず、1946年には日本美術院の重鎮・安田靫彦に師事します。端正な歴史画を描く靫彦は、球子の型破りな絵を否定せず、その方向をむしろ伸ばすよう助言したと伝えられます。
1955年に小学校教諭を退職し、母校・女子美術大学の専任講師(のち教授)に。1966年からは愛知県立芸術大学で教鞭を執りました。同じ1966年、日本の歴史上の人物の内面をえぐり出すように描く「面構」シリーズを開始します。1982年に日本芸術院会員、1986年に文化功労者、1989年に文化勲章を受章。100歳を超えても絵筆を離さず、2008年、103歳で亡くなりました。
画風の特徴:遠近も配色も、自分のルールで
球子の絵を他の日本画から分けているのは、色の常識を無視した配色と、平面的で歪んだ形です。富士山は朱に、裾野は毒々しいほどの緑に、空は金に塗られます。人物の顔は左右が非対称で、目の位置がずれ、それがかえって不気味な生気を生みます。伝統的な日本画の「上品さ」から見ればすべてが逸脱ですが、その逸脱は思いつきではなく、下図を何十枚も描き直したうえでの選択でした。絵具も岩絵具を厚く盛り上げて用い、画面には彫刻のような物質感があります。
代表作
- 枇杷(1930年/北海道立近代美術館):25歳での院展初入選作。ここから長い落選の時代が始まりますが、出発点として重要な一点です。
- 幻想(1961年/神奈川県立近代美術館):雅楽「陵王」「還城楽」の舞人を主題にした大作で、院展で文部大臣賞を受賞しました。強烈な色彩が舞台の熱気そのものとして立ち上がります。
- 面構シリーズ(1966年-):足利歴代将軍、葛飾北斎、歌川国芳、東洲斎写楽、運慶・快慶といった人物を、徹底した資料調査と大胆な想像力で描いた連作。似顔絵ではなく、その人物の生き様を顔として造形するのが球子の狙いでした。40年近く描き継がれた、球子芸術の核心です。
- 富士山シリーズ(1960年代-):燃える朱、目に痛いほどの緑、金。誰も見たことのない富士を描いた連作で、球子の代名詞となりました。実際に各地の富士を写生に通ったうえで、色だけを自由に解き放っています。
同時代の画家との関係
師は安田靫彦。院展の中枢にいた靫彦が、画壇の主流とはまったく違う球子の資質を認めたことが、その後の展開を決定づけました。同じく院展で活躍した小倉遊亀とは同時代の女性日本画家として並び称され、上村松園から続く女性画家の系譜のなかで、球子は「美人画ではない道」を切り開いた存在にあたります。
日本で見られるか
球子は日本の画家なので、作品を見る機会は各地にあります。故郷札幌の北海道立近代美術館は《枇杷》をはじめとする作品を所蔵し、長く暮らした神奈川の神奈川県立近代美術館には《幻想》があります。ほかに東京国立近代美術館、教鞭を執った縁のある愛知県美術館や愛知県の名都美術館などでも作品に出会えます。いずれも常設で必ず出ているわけではないので、展示情報を確認してから訪ねるのが確実です。
見どころ
「面構」の前では、目を一つずつ追ってください。左右の目が別々の方向を見ていたり、大きさが違ったりします。それが人物に落ち着かない生気を与えています。富士山の作品では、絵から離れて全体を見たあと、近づいて絵具の厚みを確かめてください。盛り上げた岩絵具の凹凸に光が当たり、平面のはずの画面が実際に凹凸を持っていることに驚くはずです。
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