香月泰男:シベリア抑留の記憶を黒と大地の色で刻んだ、「シベリア・シリーズ」の画家
敗戦後のシベリア抑留から生還し、その過酷な体験を20年以上かけて57点の連作に刻んだ香月泰男。黒と黄土色だけで人間の極限と尊厳を描いた「シベリア・シリーズ」で知られる画家の生涯。
香月泰男(かづき・やすお、1911-1974)は、昭和期の洋画家です。太平洋戦争末期に召集され、敗戦後は旧ソ連によるシベリア抑留を経験しました。極寒と飢えと強制労働の日々を生き延びて帰国した香月は、その記憶を「シベリア・シリーズ」と呼ばれる57点の連作に、20年以上をかけて描き続けます。黒と黄土色を基調にした重厚な画面は、戦争を知らない世代にも届く、絵画による証言となりました。
生涯:山口の故郷と、凍土の記憶
1911年、山口県大津郡三隅村(現在の長門市三隅)に生まれました。東京美術学校油画科で学び、卒業後は中学校の美術教師をしながら制作を続けます。戦前は温かな色彩の静物や家族を描く画家で、国画会展などで評価を得ていました。
1943年に召集され、満州へ送られます。敗戦後はソ連軍によってシベリアへ移送され、クラスノヤルスク地方の収容所で約2年間の抑留生活を強いられました。1947年に復員し、故郷の三隅に居を定めて制作を再開します。
復員の年の秋に《雨〈牛〉》、翌1948年に《埋葬》を描いたのを起点に、連作は1950年代後半から本格化し、以後20年以上にわたって《埋葬》《北へ西へ》《青の太陽》などが描き継がれます。1969年、シベリア・シリーズにより第1回日本芸術大賞を受賞。1974年、心筋梗塞のため63歳で亡くなりました。晩年まで、故郷の暮らしを描く小品と、シベリアの記憶を描く連作という二つの制作を並行して続けています。
画風の特徴
シベリア・シリーズの画面は、黒と黄土色にほぼ限られています。この黒は既製の黒ではなく、木炭や方解石の粉、油、砂などを自ら混ぜてつくった、独特の質感を持つ絵具です。表面はざらつき、光を吸い込むように鈍く沈みます。人物は輪郭を持たない黒い塊として置かれ、顔は多くの場合描かれません。個人の悲劇としてではなく、名を奪われた人間の集合として描かれているのです。一方、故郷を描いた作品群では色数がぐっと増え、明るく穏やかな筆致に切り替わります。同じ画家の中に二つの画面が並存していることが、香月の特異なところです。
代表作
- 埋葬(シベリア・シリーズ)(山口県立美術館):収容所で死んだ仲間を葬る場面。黒い地面と黒い人影が一体になり、生と死の境目が溶けています。
- 青の太陽(シベリア・シリーズ)(山口県立美術館):森の中から見上げた空に、青くにじむ太陽が浮かびます。抑留下でなお仰いだ光を描いた一点です。
- 北へ西へ(シベリア・シリーズ)(山口県立美術館):貨車で運ばれる捕虜たちを描いた作品。行き先の分からない移動そのものが主題です。
- 涅槃(シベリア・シリーズ)(山口県立美術館):横たわる人体を仏教の涅槃図の構図に重ねた、連作の中でも大きな画面です。
- 故郷を描いた作品群(香月泰男美術館ほか):日向ぼっこの猫、食卓の魚、家族。シベリアと対をなす、生活の側の絵です。
同時代の画家との関係
香月は東京美術学校で学び、戦前は国画会を主な発表の場としました。同じ会には梅原龍三郎らがおり、当時の在野系洋画の流れの中にいます。戦争を主題にした画家としては、従軍画家として作戦記録画を描いた藤田嗣治や、戦後に《原爆の図》を制作した丸木位里・俊夫妻と対比されることが多い存在です。ただし香月は、告発でも記録でもなく、あくまで自分が見た記憶の手触りを描くという立場を取り続けました。作家の立花隆が香月への聞き書きをまとめた著作によって、その画業は広く知られるようになります。
日本で見られるか
香月は日本でこそ見るべき画家です。シベリア・シリーズ全57点は山口県立美術館(山口市)が所蔵し、常設的に紹介しています。生地の長門市三隅には香月泰男美術館があり、故郷を描いた作品や画材、遺品を含めて画家の全体像を伝えています。この2館を訪ねれば、香月の二つの世界を両方見ることができます。
見どころ
まず絵に近づいて、表面を見てください。シベリア・シリーズの黒は平らではなく、砂を含んで粗く、盛り上がったり削られたりしています。この物質感が、凍土や壁や皮膚の感触そのものになっています。次に、黒い人影に顔が描かれているかどうかを確かめてください。ほとんどの場合、描かれていません。そして最後に、故郷の作品と並べて見てください。同じ画家が、同じ時期に、まったく違う明るさで描いている——その落差が、香月という画家の芯にあるものです。